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東京高等裁判所 昭和40年(ネ)2511号 判決

控訴人(被申請人) 学校法人順天堂大学

被控訴人(申請人) 三ツ井金吾外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人等の申請をいずれも却下する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は「原判決を取消す。被控訴人等の申請をいずれも却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人等訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠関係は、以下第一ないし第三のとおり付加訂正するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する(以下用語の略称は原判決の用法に従う。)。

第一、控訴人訴訟代理人の陳述

一  (一) 原判決事実摘示第三「被申請人の答弁」二(二)中「都医協が申請人主張のとおり改組改称したこと」は「不知」とある部分を「認める」と訂正する。

(二) 前記答弁三中「同三(中略)の事実は認める。」とある部分を「同三(四)の事実中組合が昭和三五年一一月一七日以降御茶の水駅頭等において都民、患者等に対して配布したビラの内容が『被申請人における低賃金の実態を訴え本件争議に対する支援を要望する』ものであつたとの点、『事態は急激に悪化した』ことが被申請人において組合の活動を労調法違反あるいは正常な組合活動の範囲逸脱等と非難したことによるとの点、同(一〇)の事実中昭和三五年一二月一九日第九回団体交渉における被申請人の回答が『最終回答』として提示されたものであるとの点、同(二)の事実中昭和三五年一二月二一日の団体交渉後被申請人と組合との間に団体交渉が行われなかつたことが『組合の再三の申入に拘らず、被申請人の前掲最終回答に対する諾否のほか団交は開かないとの態度によ』るとの点はいずれも否認する。同三の事実中その余の事実は認める。」と訂正する。

(三) 前記答弁四(二)3中被控訴人等の申請の理由五(一)5(2)の事実に対する答弁を「右事実は認める。ただし、組合の右通告は、その際の団体交渉の経緯からみて、真意とは認め難く、その後も組合が年末手当に対する当初の要求を取下げていないことからみても、『年末手当については二ケ月分で妥結する。』旨の右通告は、組合員に対する単なるジエスチユアにすぎなかつたというべきである。さらにまた、一二月九日の被申請人の回答は一体をなすのに、組合が年末手当二ケ月分のみを了承し、賃金増額に関する闘争を続けるというのでは被申請人と組合間に合意が成立するわけがない。」と訂正する。

二、原判決事実摘示第四「被申請人の主張=本件解雇の理由」

三(一)4中「一二月一二日には組合は正規機関たる執行委員会を解消し、申請人ら三役が、医労連、私教連、文京区労協、共産党、社会党各代表と構成する共闘会議において具体的方針を決したうえ、組合の拡大闘争委員会が挙手採決する形で運営され、一般組合員の意向の反映する途はとざされた。」とある部分を「その後の具体的闘争の進め方についても、組合員の意向を聞こうとせず、申請人ら三役の意のままに組合を運営する体制を確立するため、一二月一二日には組合の正規機関たる執行委員会を不当にも解消し、三役および執行委員のほかに職場から適宜選出された拡大闘争委員をもつて構成される拡大闘争委員会なる組合規約にもない機関を設け、先ず申請人等三役が医労連、私教連、文京区労連、共産党および社会党の各代表と構成している共闘会議なるこれまた組合規約にない機関において具体的方針を決定し、次いで、これを拡大闘争委員会に報告、説明し、挙手でその支持、承認を得るという形でこれを運営したため、一般組合員はもとより良識ある執行委員すらその意向を反映させる途をほとんど閉ざされた。かくて、本件争議は申請人等三役の意のままに遂行され、後半に至るに従つて外部団体の介入を許容し、医療従業員としての使命をまつたく忘れたあらゆる不当、違法な争議手段に訴えるに至つた。」と、同四(二)1(1)中「八〇ないし一二〇名の組合員及び支援団体員から成るピケ隊」とある部分を「一〇〇名前後から二〇〇名ないしそれ以上に及ぶ組合員及び支援団体員から成るピケ隊」と、「坂道中央部には狭い間隙を設けたものの屡々これを塞ぎ云々」とある以下その段の末尾までの部分を「第一波から第五波までは大体坂道中央部には間隙を設けていたものの、しばしばこれを塞ぎ、第九、第一〇波においてはスクラムを坂道一杯に幾重にも組んで通行を完全に遮断した。また、ピケの前面坂道入口付近には一〇名内外の説得員を置き、外来者等の説得に当らせていたが、正規の説得員でない外部団体員もこれに加わり、さらに執行委員井上信弥(第三波以降は組合唯一の医師)と数名の看護婦(組合員)をして説得員が通行を認めた者に対し通行証を発行させ、かつ、外来者等の苦情処理に当らせていたが、第九、第一〇波においては通行遮断の方針に従い、通行証発行の機能を停止させるに至つた。」とそれぞれ訂正する。

第二、被控訴人等訴訟代理人の陳述

控訴人の陳述中前記第一、一(二)の自白の撤回には異議がある。前記第一、二の訂正された事実主張は争う。

第三、証拠〈省略〉

理由

第一、被控訴人両名と控訴人間の各労働契約の成立と解雇の意思表示等について。

一、控訴人は医学の研究、教育を目的とし、順天堂大学(以下「大学」という。)および準看護学院を設置し、医療法所定の総合病院たる大学医学部付属順天堂病院(以下「医院」という。)を開設する学校法人であつて、昭和三五年一一月の本件争議開始当時における従業員総数は六七八名であつた。医院の病床数は五七四、昭和三五年中における一日平均患者数は入院患者約五〇〇、外来患者約一、三四〇であつた。被控訴人三ツ井は昭和二六年控訴人に雇傭され、以後大学医学神経科教室において精神医学的ケースワーカーとして勤務してきた者、被控訴人松田は昭和三四年一月控訴人に雇傭され、以後医院整形外科において補助看護婦として勤務してきた者である。被控訴人等の所属する順天堂大学教職員組合(以下「組合」という。)は昭和三一年控訴人の従業員をもつて結成され、組合員数は昭和三五年一二月初頃四四四名、昭和三六年二月初頃二〇六名であつた。被控訴人三ツ井は昭和三一年四月以降組合の執行委員長(以下「委員長」という。)、被控訴人松田は昭和三五年五月以降組合の副執行委員長(以下「副執行委員長」という。)となり、今日に至つている。以上の事実は当事者側に争いがない。

二、昭和三五年五月東京地方医療労働組合連合会(以下「医労連」という。)の第一一回定期大会において最低賃金一万円保障、一律三、〇〇〇円の賃金増額、年末手当(最低)基本給の二ケ月分支給を求める統一要求が決定され、同年秋統一闘争が開始されるや、組合はこれに参加し、同年一一月九日控訴人に対し、左記の要求を提出した。

(イ)、基本給として一律三、〇〇〇円の賃金増額をなし、昭和三五年一一月よりこれを実施すること。最低賃金として中卒者初任給一万円を保障すること。

(ロ)、年末手当として基本給の二ケ月分に一律三、〇〇〇円をプラスして支給すること。

以来、組合は、控訴人と数回に亘り右要求事項に関する団体交渉を行つたが、右要求を容れられなかつたため、昭和三五年一一月二八日スト権を確立し、医労連は、同月二九日労調法第三七条に基き関係行政官庁に対し、組合が同年一二月一〇日以降要求貫徹まで連日または少時間、医院において、救急外来患者および入院中の重症患者のための保安要員若干名を除く組合員の全部または一部をもつてストライキまたは怠業等一切の争議行為を行う旨の予告通知を発し、組合も同日控訴人に対し右予告通知を了した旨を通知した。かくて、組合は本件解雇に至るまでの間昭和三五年一二月一三日(第一波)、同月一七日(第二波)、同月二二日(第三波)、同月二七日(第四波)、同月三〇日(第五波)、昭和三六年一月六日(第六波)、同月一二日(第七波)、同月一七日(第八波)、同月二五日(第九波)、同年二月三日(第一〇波)の一〇回に亘り各日午前七時から正午までの半日ストライキを反覆した(ただし、第四、第五、第七波における終了時間を除く。)。叙上の争議は被控訴人等組合三役が中心となつて企画、決定、指導したものであり、ことに各波ストライキに際しては、被控訴人等組合三役はピケツテイング現場中央に設けられた本部に常駐し、終始組合員および支援の外部団体員を陣頭指揮し、率先して争議行為を実行した。これに対し、控訴人は被控訴人等に対し、昭和三六年二月七日付解雇通告書をもつて、同月九日限り解雇する旨の意思表示をなし、右通告書は同日被控訴人三ツ井に、同月一八日被控訴人松田にそれぞれ到達した(なお、控訴人は予告手当を提供した。)。右通告書記載の解雇理由は、「組合は昭和三五年一一月以降再三に亘り種々の方法をもつて争議権の正当な範囲を逸脱した行為をなし、剰え昭和三六年一月二五日および同年二月三日のストライキに当つては、病院の特殊性を無視し著しく違法なピケツテイングを行い、患者および関係者の出入を妨害し、もつて控訴人の診療、教育等に障害を与え、控訴人に対し不当に損害を被らせた。被控訴人等は組合の委員長、副委員長として本件争議に関する一切の事項を企画、指導し、組合員のみならず第三者をして争議に参加させるとともに、自らもこれを実行した者であるから、就業規則により解雇する。」というのである。以上の事実は当事者間に争いがない。

第二、本件解雇の不当労働行為性の有無

被控訴人等は、控訴人の本件解雇の意思表示は被控訴人等が組合の中心幹部として労働組合の正当な行為をしたことに対する報復的不利益処分であり、組合の弱体化を狙つたものであつて、労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為に当るから無効であると主張する。よつて、控訴人が争議行為の不当事由の一として主張するピケツテイングの当否と控訴人の不当労働行為意思の有無とについて考察する。

その一 ピケツテイングの当否

(事実関係)

一、組合が一〇回に亘るストライキ実施中組合員および支援の外部団体員から成るピケツト隊員(時期を追つて外部団体の数が増加した。)を医院正面入口付近(詳細は後述する。)に配置したことは当事者間に争いがない(ただし、原審における証人土屋豊の証言により成立を認めうる乙第一三三号証、原審における証人中村園子の証言により成立を認めうる甲第二〇号証によれば、昭和三五年一二月二七日第四波ストライキの際は午前一〇時頃、同月三〇日第五波ストライキの際は午前九時過頃、昭和三六年一月一二日第七波ストライキの際は午前九時三〇分頃それぞれピケツテイングが解除されたことが認められ、右認定を妨げる疏明資料はない。)。他方、控訴人が各波ストライキ時においても非組合員等により医療業務を続けていたことは当事者間に争いがなく、原審における証人井上信弥の証言によれば、当時医師のほとんど全員が非組合員であつたことが認められる。

二、組合のピケツテイング実施方針

(一) 当初の方針

1 前記甲第二〇号証、原審における証人村上弘の証言により成立を認めうる甲第一九号証、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第二二号証、原審における証人宇田川次保の証言により成立を認めうる甲第二四号証に原審における証人宇田川次保、同村上弘、同井上信弥、同中村園子、原審および当審における証人高橋フミ、当審における証人高林一男の各証言を総合すれば、本件争議に当り、これを指導、統制ないし支援する目的のもとに、医労連書記長宇田川次保(同人は本件争議を直接指導する任務を帯びて医労連から派遣された。)を議長とし、組合三役および私立大学教職員組合連合会(略称・私教連)、文京区労働組合協議会(以下「区労協」という。)、日本共産党、日本社会党の各代表によつて構成された共闘会議が設置され、組合三役を通じて組合員の意向を反映せしめつつ、本件争議遂行の最高方針を決定することとなつたこと、組合内部においては、本件争議のため、被控訴人両名を含む執行委員一一名および各職場から適宜選出された拡大闘争委員三五名により構成された拡大闘争委員会が設置され、同委員会が争議中の組合の事実上の執行機関として争議行為の具体的執行に当ることとなつたこと、ピケツテイング実施に関する組合の当初の方針は、第一波ストライキの前日である昭和三五年一二月一二日の共闘会議において、闘争の目的を患者その他一般世論に訴えることを主眼とし、患者等には通路を配慮しておくとの医労連の方針に従つて決定され、さらに拡大闘争委員会において具体化されたものであること、右方針の内容は(イ)看護婦である組合員数名を説得員に充て、医師井上信弥(当時組合員)および主任看護婦級の組合員一、二名より成る苦情処理班を設け、右説得員および苦情処理班員合計約一〇名をして患者、面会人等外来者の応接、説得、通行の許否決定、通行証の発行および苦情処理に当らせる、(ロ)説得は重患(胃透視、コバルト照射の受診者を含む。)、急患、老人、幼児、妊産婦を除き外来者全員に対して行う、(ハ)説得の方法は、外来者に対し来院の用件、病状を尋ねたうえ、ストライキ決行の実情を説明し、正午にはピケツテイングも解かれること(面会人に対しては、正規の面会時間は午後であること)等を告げて、ピケツテイング解除まで一時医院への入構を見合せるよう納得を求める、(ニ)外来者が説得に拘らずなおピケツト通過を希望するときは、組合作成の通行証に氏名、行先、理由を記入したうえ、これを所持させて通過させる、(ホ)医師、学生は通行証を与えて通過させる等であつたことが認められる。右認定を妨げる疏明資料はない。

2 もつとも、前記甲第一九号証には、ピケツテイング実施方針として、さらに、投薬を受ける目的のみで来院した患者のために説得員が薬局保安要員と連絡して投薬の引継を行うことおよび患者面会人で遠隔地域から来院した者は入構させることが定められた旨の記載があり、原審における証人村上弘の供述中にも同旨の供述部分があるが、いずれも認定資料とし難い。けだし、前者は特に組合の方針として定められたものではなく、組合の説得員中薬局勤務者が、投薬のみを受ける目的で来院した患者のため、自発的好意的に処理したものに過ぎないこと当審における証人信田重光、高橋フミの各証言により明かであり、後者も、ピケツテイングの実情に関する後記認定事実に照らすと、これまた方針として定められたものでないと認めるのが相当であるからである。

(二) 第九、第一〇波ストライキ時の方針

前記乙第一三三号証、原審における証人石塚司農夫の証言により成立を認めうる乙第一〇六号証の三に原審における証人石塚司農夫、原審および当審における証人土屋豊の各証言を総合すれば、組合側(被控訴人松田、永村正志外三名)は、昭和三六年一月二五日の第九波ストライキ当日保安協定を締結する際、控訴人側(水野重光副病院長、土屋豊教授、高梨婦長、石塚司農夫学務課長)に対し、「今日は外来患者は来ないから保安要員を出す必要がない。外来患者を完全に阻止し、日曜体制を厳重に実施する。」と広言し、両者間に日曜体制の意味、その当否、保安要員供出の限度等につき激論が闘わされたこと、被控訴人松田は同年二月三日の第一〇波ストライキ当日も、保安協定締結の際、控訴人側に対し、「協定書に判を押すが、保安要員を出すかどうかは組合の自由である。」と述べたことを認めることができ(右認定に反する原審における被控訴人三ツ井本人、当審における被控訴人松田本人の各供述は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。)、右事実に第九、第一〇波ストライキ当日のピケツテイングの実情に関する後記認定事実ならびに前記甲第二〇号証、原審における証人井上信弥、同中村園子、同高橋フミの各証言を総合すれば、組合は、第九、第一〇波ストライキに当つて従来のピケツテイング実施方針をいつそう強化し、(イ)重急患以外の外来患者の入構を一切阻止する。(ロ)ピケツト隊形を改め(その詳細は後述する。)、かつ、栄養課門にもピケツト隊を配置する。(ハ)医師、学生、面会人等は栄養課門を通行させる。(ニ)説得員、苦情処理班のほかの接待係を設け、ピケツテイング解除まで待機する患者の接待に当らせる等を定めたことを認めることができる。

前記甲第一九、第二〇、第二四号証中右認定に反する部分は真実に合うものとは認め難く、原審における証人中村園子、原審および当審における証人宇田川次保、同高橋フミ、被控訴人三ツ井、同松田各本人の供述中右認定に反する供述部分は信用できない。原審における証人中村園子の証言により成立を認めうる甲第一四号証に原審における証人中村園子、同高橋フミの各証言、被控訴人三ツ井本人尋問の結果を総合すれば、組合拡大闘争委員中村園子が第一〇波ストライキに先立つて「説得虎の巻」なるガリ版刷の文書を作成し組合員に配布したこと、右文書には「説得の仕方」として、(イ)重患(コバルト・胃レントゲン患者を含む。)、急患、幼児(六歳以下)以外の一般患者に対しては病状を尋ね、スト終了まで待機するよう平和的に説得する。(ロ)ピケツト通過を認めた者に対しては通行証を渡す。(ハ)医師、学生等には通行証を与えて「横口」から入構させる。(ニ)面会人にも(イ)同様に説得するが、面会の相手が重患その他の理由で入構を切望するときは通行証を与えて「横口」から入構させる等の記載があることを認めることができ、右「説得虎の巻」に記載された「説得の仕方」は前認定の組合のピケツテイング実施方針を更に緩和した内容のものであることが明らかであるが、右「説得虎の巻」の内容が昭和三六年二月一日頃の執行委員会で組合の説得方針として採択されたとする原審における証人中村園子の供述部分はにわかに信を措き難い。したがつて、右「説得虎の巻」が作成配布された事実は第一〇波ストライキ時のピケツテイング実施方針に関する前記認定を左右する資料とすることはできない。以上のほか前記認定を妨げる証拠はない。

三、ピケツテイング現場の概況

(一) 現場の位置関係

成立に争いのない乙第一、第一六四号証によれば、別紙図面のとおり、医院建物の正面玄関前は奥行約一五メートルの広場を存し、右広場は南側中央付近において約二六平方メートルのほぼ正方形の土地部分に続き、該部分を頂上として、東側に向つて下り勾配の幅五・二五メートル、長さ一三・五メートルの公道に通ずる坂道、西側に向つて下り勾配の幅五・二三メートル、長さ九・七八メートルの公道に通ずる坂道が設けられており、右東西両側の坂道が外来者の医院正面玄関に至る通路をなすこと、西側坂道入口から医院建物敷地の西側境界線に沿つて約五〇メートルの距離に公道に面して栄養課門が設けられていたことが認められる。

(二) ピケツト隊形

組合がピケツト隊員を第一波ないし第五波ストライキ時には前記東側坂道の両端および坂の頂上に(当時西側坂道は工事のため通行不能であつた。)、第六波以降のストライキ時には東西両側坂道および坂の頂上に配置したことは当事者間に争いがなく、前記甲第二〇号証、乙第一三三号証、写真部分が当該現場の写真であることにつき当事者間に争いがなく、説明書部分は本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一七号証の二、三、九、一〇、一四ないし一七、乙第五、第六、第一〇、第二二ないし第二五、第二九ないし第三三、第三五、第一二九、第一三〇号証、第一六五号証の一、三、六、七、八、九、第一七三ないし第一七五号証、第一九二ないし第一九五号証、第一九七、第二一二、第二一五号証に原審における証人土屋豊、同石塚司農夫、同井上信弥、同中村園子、当審における証人長峰敏治の各証言によると、ピケツテイングの隊形は、第一波ないし第五波ストライキまでは、東側坂道に添いその左右両端に縦列を敷き、両縦列の中間に通行の余地を残し、坂道頂上付近には横隊に並び、全体として「コ」の字形のピケツト隊形をとつたこと、西側坂道を使用できるようになつた第六波以降第八波ストライキまでは東西坂道の左右両側に縦列を敷いたこと(この場合も両縦列の中間に通行の余地を残していた)、第九、第一〇波ストライキにおいては、通行の余地を残すような配慮は全く払われず、東西坂道の幅一杯に数層に及ぶ横隊を形成し(東側坂道の方が層が厚かつた。)各横隊毎にスクラムを組み、通行を塞ぎ、栄養課門にも四、五名位のピケツト隊員を配置したこと、もつとも第六波ストライキ当日には、ピケツト隊員全員が一時医院広場入口に平行して数列のピケツト隊列を作つて、スクラムを組み、広場入口を人垣で完全に閉鎖するような形をとる等のこともあつたことが認められる。もつとも、前記甲第一七号証の一六、一七によれば、第一〇波のピケラインを一人の男性が何の抵抗を受けることなく通過入構していることが認められ、第一〇波のピケラインが緩やかなものであつたかのように思われるが、この人物が医院のレントゲン技師であること原審証人井上信弥の証言により明かであるから、右甲号各証は前認定の妨げとならず、前記甲第二〇号証、原審における証人高橋フミの証言により成立を認めうる甲第二一号証中右認定に反する部分は前掲証拠に照らすと真実に合うものとは認め難く、原審における証人中村園子、同永村正志、原審および当審における証人高橋フミ、当審における証人高林一男、原審における被控訴人三ツ井本人の各供述中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

(三) ピケツト隊員の人数

前記乙第一三三号証に原審における証人土屋豊、同井上信弥、同中村園子、同高橋フミの各証言を総合すれば、ピケツト隊員の人数は、各波により、または時刻により、消長があつて一定不動のものではなく、第一波ないし第八波ストライキを通じてみると、多いときで一二〇名ないし一三〇名、少いときで七〇名ないし八〇名であつたが、第九波ストライキにおいて二〇〇名位、第一〇波ストライキにおいては二三〇名位に達したこと、このうちピケツト隊に加わつた支援の外部団体員は第一波ないし第八波ストライキにおいて約二〇名にすぎなかつたが、第一〇波においては一二〇名ないし一三〇名に達し、第九波は若干これを下廻つたことを認めることができる(第九、第一〇波ストライキ時のピケツト隊員がすくなくとも二〇〇名であつたことは当事者間に争いがない。)。右認定に反する甲第二五号証(原審における証人永村正志の証言により成立を認めうる)の記載は真実に合うものとは認め難く、原審における証人井上信弥、同高橋フミの各供述中右認定に反する供述部分は信用できず、他に右認定を左右する疏明資料はない。

(四) ピケツテイング時の状況

組合が各波ストライキを通じ前記坂道の石垣周辺に宣伝ビラを貼布し、また、医院正面に組合や外部団体の赤旗数一〇本およびプラカードを林立掲揚していたことは当事者間に争いがなく、右事実に前記甲第一七号証の二、三、九、一〇、一五ないし一七、第二〇号証、乙第五、第六、第一〇、第二二ないし第二五、第二九、第三五、第一三三号証、第一六五号証の七、第一七四、第一九五、第二一二号証、写真部分が当該現場の写真であることについて当事者間に争いがなく、説明書部分は本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一七号証の六、一三、一八、乙第四、第一五、第一七ないし第一九、第二八号証、第一六五号証の五、第二一六、第二二〇号証、原審における証人土屋豊、当審における証人東俊郎、同大野大の名証言、原審における被控訴人三ツ井本人尋問の結果を総合すれば、各波ストライキ実施中ピケツト現場には「順天堂病院スト決行中午前七時~正午迄」「本日ストの為急患重患幼児の方以外の方は御遠慮下さい」「要求貫徹」「一律三千円ベースアツプせよ」「去年のボーナスよこせ」等と記載した組合側のプラカード、立札、横断幕が掲げられ、また、前記坂道の石垣周辺には組合の要求を掲げ、あるいは組合員の結束をうたつたビラのほかに、控訴人および理事長ら経営幹部、職制を中傷誹謗するビラが所狭しとばかり貼られており、かかる状況の中で「団結」などと染抜いた鉢巻をした者を交えたピケツト隊員はしばしば労働歌やシユプレヒコールを高唱し、あるいはマイクロホンを使用して外来者に対する宣伝、控訴人側に対する示威を行つて気勢を上げていたが、労働歌を合唱するときは第八波ストライキ時以前においても隊員がほとんど坂道の幅一杯に拡つて通路を塞いでいたことを認めることができ、右認定を妨げる疏明資料はない。

四、外来者に対する説得、通行阻止の実情

(一) 通行を阻止された外来患者数

1 第一波ストライキ時

(1) 原審における証人井上信弥、同中村園子、当審における証人後藤億嶺の各証言によれば、第一波ないし第八波ストライキの際、通行証は常に組合書記永村正志(途中から組合専従書記後藤億嶺もしくは前記中村園子に変る。)より組合側苦情処理班の井上医師に手交され、同医師は、ピケツト隊の前面前記東側坂道入口付近に設置された机の上に通行証を置き、説得員が入構させるのを適当と認めて同行してきた患者に対し、苦情処理班所属の看護婦等をして右通行証を交付させていたことが認められる。

(2) もつとも、当審における証人後藤億嶺の証言により組合の作成にかかるものと認められる甲第三五号証の一ないし一四(昭和三五年一二月二二日付通行証)中には、扱者として「堀」「伊ト」その他井上医師以外の者のサインを記入したものが含まれているところ、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第五四号証の九および当審における証人後藤億嶺の証言によれば、右サインの中「堀」「伊ト」は組合の説得員であつた看護婦堀麗子、伊藤和子のそれであることが認められるから、すくなくとも昭和三五年一二月二二日第三波ストライキ時には、説得員の手で発行された通行証が数通あることが認められる。しかし、通行証発行の権限が井上医師にあつたとする前記認定事実に照らすと、該数通の通行証の発行は井上医師の指示もしくは諒解のもとになされたものと認めるのが相当である。原審における証人中村園子、当審における証人後藤億嶺の各供述中説得員が通行証を所持して患者に交付した旨の供述部分はかかる例外的取扱を不当に一般化して供述しているものというべく、採用に値しない。

(3) 叙上(1)(2)の事実と外来患者に交付した通行証の枚数に関する原審における証人井上信弥の証言とをあわせ考えると、第一波ストライキ時には、約二〇〇名の外来患者がピケツトを通過して医院内へ入構できたものと認められる。

(4) そして、当審における証人土屋豊の証言によれば、第一波ないし第八波ストライキ当時外来患者がストライキのため来院を差控えたため、治療が行われた外来患者の人数は一日を通じて平日の外来患者数の七、八割であつたことが認められるところ(右認定を妨げる疏明資料はない。)、第一波ストライキ当時は大部分の外来患者がストライキの被害を体験していないこととてストライキ実施時間を避けて午後に診療を受けようという配慮を払つて来院したとは認め難いから、来院患者数平日の七、八割という前記比率はすくなくとも第一波ストライキ当日の午前についてはそのまま妥当するものというべく、したがつて、入構して診療を受けえた患者の人数約二〇〇名を一〇分の七ないし八で除して得られた数、すなわち二八〇名ないし二五〇名が第一波ストライキ当日午前中の来院患者数と認めるべきである(ただし、来院したが入構を阻止されて帰宅した人数をこれに加えるのがより正確であるが、該患者数は証拠上明らかでない。)。とすれば、右二八〇名ないし二五〇名から入構者数約二〇〇名を減じた数、すなわち八〇名ないし五〇名がピケツテイングのため入構を阻止され、ピケツテイング解除とともに入構しえた外来患者数であるという計算となる。叙上の点に前記乙第一三三号証をあわせ考えると、第一波ストライキ当日ピケツテイグによつて入構を阻止された患者数は少な目にみて、五、六十名であつたと認めるのが相当である。

(5)以上の認定に反する前記甲第二二号証の記載は真実に合うものとは認め難く、原審における証人中村園子、同井上信弥、被控訴人松田本人の各供述中右認定に反する供述部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

2 第二波ないし第八波ストライキ時

前記乙第一三三号証に原審における証人中村園子、同井上信弥、当審における証人土屋豊の各証言を総合すれば、ストライキ実施中の外来患者数は回を重ねる毎に漸減していつたが、井上医師は第一波ないし第七波ストライキ時は各日約二〇〇枚、第八波ストライキ時は約一〇〇枚の通行証を交付して外来患者を入構させたこと、したがつて、入構を阻止された患者数も、各波の進むに従つて漸減していつたが、第八波ストライキ時は例外的に多数となつたこと、もつとも、第四、第五、第七波ストライキ当日は前記のとおり比較的短時間でピケツテイングが解除されたため来院患者のほとんどが支障なく診療を受けえたこと(ただし、第四、第七波ストライキ時にも通行阻止の事例があつたこと後述のとおりである。)を認めることができる。

当審における証人後藤億嶺は、「甲第四七号証は昭和三五年一二月二二日第三波ストライキ時に組合が外来患者等に交付した通行証の控であり、それに記載された1ないし334が当日発行された通行証の総数である。」旨供述する。なるほど、第三波ストライキ時に発行された通行証たる前記甲第三五号証の一ないし三、四、六、九ないし一四がそれぞれ甲第四七号証記載の7・22・24・54・119・161・200・278・318・123・158に照応することに徴すると、甲第四七号証中には現実に発行された通行証に関する記載が少なからず含まれていることは否定できないが、他方、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第一六八号証によれば、甲第四七号証中氏名の明確な者八三名中控訴人備付の来院患者索引簿に記載されている者は僅かに四三人にすぎないことが明らかであり(右認定を妨げる疏明資料はない。)、この一事によつても、第三波ストライキ時に甲第四七号証記載の1ないし334全部について通行証が発行されたと認めることはできない。してみれば、甲第四七号証および当審における証人後藤億嶺の供述は前記認定を左右する資料とし難く、他に前記認定を妨げる疏明資料はない。

3 第九波ストライキ時

原審における証人井上信弥の証言によれば、第九波ストライキの際、井上医師は、北畠組合書記長の指示によりピケツトの後方、坂道頂上にある闘争本部詰となり、通行証発行の任務を解かれた形となり、通行証は組合から直接説得員に交付されたこと、井上医師は、入構を阻止されピケツテイング解除まで待機中の患者の間をパトロールし、その中からコバルト照射患者三名、胃透視患者二名を含む三〇名前後の患者を直ちに診療を受けるべき者と認め、入構させたこと、同医師は前記パトロール(回数五、六回、一回の所要時間五分ないし一〇分)中は別として、ピケツテイング解除まで坂道頂上のバリケード付近に位置しているので入構する患者を確認しうる状態にあつたが、同医師が誘導した前記約三〇名以外にピケツトを通過した外来患者を現認していないことを認めることができ、右認定事実に前記乙第一三三号証、原審における証人土屋豊の証言により成立を認めうる乙第五一号証、原審における証人懸田克躬、原審および当審における証人土屋豊、同信田重光、当審における証人東俊郎の各証言を総合すれば、第九波ストライキ時の来院患者(原審における証人井上信弥の証言によれば、当日の来院患者数は従前より減少していることが認められるが)中ピケツトを通過しえた者は前記三〇名前後の者のみであると認められる。右認定に反する原審における証人中村園子、当審における証人東喜久子、同土屋豊、同穴沢雄作、原審および当審における被控訴人松田本人、当審における被控訴人三ツ井本人の各供述部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

4 第一〇波ストライキ時

前記乙第五一、第一三三号証、当審における証人信田重光の証言により成立を認めうる乙第八四号証、原審における証人懸田克躬、同井上信弥、原審および当審における証人土屋豊、当審における証人信田重光、同増田耕作、同長峰敏治の各証言を総合すれば、第一〇波ストライキ時の来院患者中ピケツトを通過しえた者は重症患者一〇数名を出ないものと認められる。右認定に反する前記甲第二五号証の記載は真実に合うものとは認め難く、原審における証人中村園子、同永村正志、同高橋フミ、原審および当審における被控訴人松田本人、当審における証人宇田川次保、同東喜久子、同土屋豊、同穴沢雄作、被控訴人三ツ井本人の各供述中右認定に反する供述部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

(二) 説得、通行阻止の実情

1 患者に対する説得、通行阻止

(1) 第一波ないし第八波ストライキ時

組合がピケツト前面に説得員を配置したこと、井上医師その他数名の看護婦が外来者の苦情処理に当つたことは当事者間に争いがない。そして、前記甲第二〇、第二一号証、乙第一五、第五一、第一三三号証、第一六五号証の一、当審における証人穴沢雄作の証言により成立を認めうる乙第五三号証、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第五五ないし第五七号証、第五九ないし第六三号証、当審における証人大野大の証言により成立を認めうる乙第一七八、第一九〇号証の各一、二、写真部分が当該現場の写真であることは当事者間に争いがなく、説明書部分は本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第一三、第二一三、第二一四号証に原審における証人土屋豊、同中村園子、同高橋フミ、当審における証人坂本豊吉、同穴沢雄作、同信田重光の各証言を総合すれば、第一波ないし第八波ストライキを通じ、組合の当初のピケツテイング実施方針はある程度遵守されたが、右方針に牴触する場合も少なくなかつたこと、説得員のいわゆる説得に遭い待機を余儀なくされた患者の中には、真に納得したというよりは、赤旗の林立する中労働歌を高唱しシユプレヒコールを繰返すピケツト隊の威勢を背景に説得員以外の組合員、外部団体員が「スト中は中へ入れません。」「医師も看護婦もいないから入つても無駄だ。」等怒号するのを前にして、なす術もなく立ちすくみ、遂に受診の意思を表示しえなかつた者もあつたのみならず、元来、医師の資格を保有しない説得員が重急患か否かの判定をすることは極めて困難かつ危険なものというべきところ、現に、次のような通行阻止の事例があつたことを認めることができる。

〈1〉 第一波ストライキ時、亀山佳世子が乳癌手術後の診療を受けるため来院したが通行を阻止され、やむなく帰宅した。

〈2〉 第三波ストライキ時、大学側苦情処理班の医師坂本豊吉は一高血圧症患者が説得員に入構を阻止され待機しているうち、苦悩の状を浮かべ始めたのを認め、そのまま寒気の中で待たせることは病状に悪影響を及ぼすものと判断し、組合説得員に対し右患者を通行させるよう交渉中、現場にいた外部団体員(全逓労組員)が坂本医師に対し、「何を余計なことをいうのだ。引込んでいろ。」と暴言を吐いたことから口論となつたため、右患者はやむなく帰宅した。

〈3〉 第四波ストライキ時、辻つぎ(左頸部癌患者。当時全身状態悪化し、コバルト照射治療中であつた。)が通行を阻止され、ピケツテイング解除まで数時間待機を余儀なくされた。

〈4〉 第六波ストライキ時、四治平泰造(胆石症または慢性胆嚢炎の疑ある患者)が患部に痛みを覚え午前一〇時過頃来院したが、組合員から「ストに協力せよ。」といわれて通行を阻止され、大学側苦情処理班土屋教授が組合側に入構の折衝をしたが押問答に終り、ようやく午前一一時頃ピケツトを通過することができた(同人は医院入口まで歩行していつたが、同所から診療室までは手押車を利用しなければならない程の状態であつた。)

〈5〉 第七波ストライキ時、松田隆(心臓疾患・関節リユーマチ患者)が左膝関節部に激痛を覚え杖に縋つて来院したが、組合員により通行を阻止され、ピケツテイング解除まで待機しなければならなかつた。

〈6〉 第八波ストライキ時、杉本陽子(妊娠八ケ月)が受診のため来院したが、通行を阻止され、当日診療を受けることができなかつた。

〈7〉 第八波ストライキ時、入院許可通知を受けた倉持ふく(病名不詳)が千葉県我孫子町から家族に付添われ来院し、病院前でハイヤーを降りて入構しようとしたが、ピケツト隊員から「今日はストですから他の病院へいつて下さい。」といわれて通行を阻止され、ピケツテイング解除まで待たされた(同人は後刻入院したが当夜は高熱で苦んだ。)。

〈8〉 第八波ストライキ時、村田武一(病名不詳)が来院して入構しようとしたが、阻止され、ピケツテイング解除まで待機させられた。

〈9〉 小川徳次郎(悪性肉腫切除手術後の要治療患者)は昭和三五年八月右臀部悪性肉腫切除手術、同年一一月右腋窩部腫瘤剔出手術を受け、同年一二月以降二、三日毎にコバルト照射、制癌剤注射による治療、神経痛鎮静薬の投与を受けるため来院していたが、両度に亘る手術のため歩行困難、手の運動不自由に陥つていた。同人は第七波ストライキ当日午前九時過頃自動車で来院し、西側坂道下に停車したところ、組合員たる看護婦久保田某、東海林某両名は無謀にも小川に下車を求めたので、小川の家族が同人を支えつつ東側坂道を通つて院内に導き入れる外はなかつた。その際、小川の担当医師穴沢雄作が両看護婦に対し、小川の歩行困難であることを告げて自動車に乗車させたまま西側坂道から入構させるよう注意したが、黙殺された。小川は第八波ストライキ当日も午前八時前頃自動車で来院したが、前記久保田、東海林両名は福田病院長、穴沢医師から交々自動車に乗せたまま入構させるよう注意を受けたにかかわらず、全然これを聴容れず、またまた前同様の方法で院内に導き入れた(小川は、以後、ストライキ当日はピケツテイングを避けて早暁に来院したが、昭和三六年二月から通院困難となり、同年三月末肉腫により死亡した。前記組合員の行動のため小川が死の転帰をとるに至つたと即断はできないけれども、このような所業により患者の心身に相当の悪影響を及ぼしたことは容疑の余地がない。)。

〈10〉 第八波ストライキ時、都築某(大腸癌手術後の要治療患者)は放射線照射治療のため来院したが、外部団体員のため通行を阻止された。

以上の認定に反する前記甲第一九、第二〇、第二四、第二五号証、乙第五七号証の記載は真実に合うものとは認め難く、原審における証人永村正志、同村上弘、同中村園子、原審および当審における証人宇田川次保、同高橋フミ、当審における証人高林一男、当審および原審における被控訴人三ツ井本人、同松田本人の各供述中右認定に反する供述部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

(2) 第九、第一〇波ストライキ時

前記乙第五一、第五七、第八四、第一三三号証、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第六四、第六五、第六七ないし第六九、第七一、第七二、第七五ないし第七八、当審における証人増田耕作の証言により成立を認めうる乙第七四号証、当審における証人大野大の証言により成立を認めうる乙第一八二、第一八四、第一八八、第一八九号証の各一、二、当審における証人飯塚くにの証言により成立を認めうる乙第一八六、第二二三号証の各一、二、当審における証人長峰敏治の証言により成立を認めうる乙第二二四号証に原審および当審における証人土屋豊、当審における証人穴沢雄作、同信田重光、同増田耕作、同長峰敏治、同飯塚くにの各証言を総合すれば、前述のとおり第九、第一〇波ストライキの際は、ピケツト隊員は東西両側坂道の幅一杯に幾層にも及ぶ横隊を敷き、各横隊毎にスクラムを組み、通路を塞ぐような形で並立していたこと、右ピケツト隊員(その最前列には外部団体員が交つていた。)は、赤旗の林立、労働歌の高唱等従前にも増して激化したピケツテイングの威勢を背景に、外来患者等に対し、交々「帰れ、こんな所に来ても仕様がない。」「この位の熱なら明日来い。」「医師も看護婦も出勤していない。」「隣りの医科歯科大学病院へ行け。」等々語調を強めて受診の断念を求め、大学側苦情処理班が組合側に対し患者を入構させるよう勧告を試みても奏功しなかつたこと、組合側説得員もほとんど活動せず、患者等はただピケツテイング解除まで待機するか、帰宅するほかなく、前述のとおり僅かに第九波ストライキ時に三〇名前後、第一〇波ストライキ時に一〇数名が井上医師に導かれて入構しえたにすぎなかつたこと、総体的にみて、第九、第一〇波時のピケツテイングは、組合が従前に比して厳しい方針をとつたこと前記のとおりであるが、現実はこの方針以上に過激な様相を呈したものであり、通行阻止の事例に次のようなものがあつたことを認めることができる。

〈1〉 中村フミ(糖尿病患者)が第九波ストライキ当日午前九時過頃インシユリン注射を受けるため来院したが、組合員である看護婦から「注射位ならどこの病院でもできるではないか。」といわれ通行を阻止されたので、大学側苦情処理班の医師田中一郎は中村を入構させるよう勧告したが、外部団体員から拒否され、やむなく中村をピケツテイグ解除まで待機させることとした。

〈2〉 第九波ストライキ時、高橋カネ(脳腫瘍等の疑ある患者)が脳波検査の結果を聞きがてら診療を受けるため来院したが、通行を阻止されたので、組合員に対し、ひきつけを起し卒倒する病的体験がある等自己の症状を説明してピケツト通過を求めたが聴容れられず、やむなく帰宅した。

〈3〉 細井栄子(妊婦)が第九波ストライキ当日午前一〇時頃受診のため来院したが、「今日は我々にとつて特別のストだからお引取下さい。」等といわれて通行を阻止され、ピケツテイング解除まで待機を余儀なくされた。

〈4〉 江成宏之(三歳の幼児)は三九度の高熱を発し、昭和三六年一月二三日医院小児科で診療を受け、第九波ストライキ当日再度家族に連れられて来院したが通行を阻止された。

〈5〉 第九波ストライキ時、赤沼忠治(老令で心臓疾患あり。)が山梨県下から入院のため来院したが、一時間近く通行を阻止された。

〈6〉 飯塚くに(妊婦)が妊娠の初期にあつて出血をみ、昭和三六年一月二四日受診の結果なお出血が続くときは切迫流産もしくは子宮外妊娠のおそれがあると診断され、黄体ホルモン注射を受けるため来院するよう指示されたので、第九波ストライキ当日午前一〇時頃来院したが、通行を阻止され、やむなく帰宅した。

〈7〉 第九波ストライキ時、坂戸智海(パーキンソン氏病患者)が手足の不自由を押し妻に付添われて来院したが、通行を阻止され、再三入構方を懇願したが拒否されて、やむなく帰宅した。

〈8〉 氏名不詳、年令三〇歳位の男性患者が第一〇波ストライキ当日午前一〇時ないし一一時の間に来院し、頭痛を訴えて入構方を求めたが拒否されたので、大学側苦情処理班医師新井洋右が外部団体員に対し右患者の病状を説明して入構させるよう勧告したが、目的を達しなかつた。

〈9〉 長谷川武一郎(胃癌手術後の要治療患者)は昭和三五年一〇月胃癌の手術を受け、同年一一月下旬退院して患部のコバルト照射およびレントゲン深部照射、制癌剤等の注射を受ける必要上隔日に自動車で来院していたが、本件ストライキ開始以後ストライキの日を避けていたため、規則的治療の実施が妨げられて容態悪化の傾向を辿つていた。同人は第一〇波ストライキ当日午前九時頃来院したが、通行を阻止された。たまたま通勤途上その場に来合わせた担当医師増田耕作(大学側苦情処理班の一員)が―戸外で看護の措置をとることもならず―組合員中村園子に対し、長谷川の病状を説明してピケツトを通過させるよう勧告したが、中村は「今日のストは今までのストと違うから、簡単には入れられない。」といつて入構を拒否した。そこで、増田医師は長谷川を同行して栄養課門へ廻つたが、同所にピケツテイングを張つた組合員等も増田医師の入構勧告を拒否した。このような状況であつたため、長谷川は増田医師が白衣を着用すべく暫時その場を外した間に帰宅した(同人は昭和三六年三月中旬再入院したが、同年四月死亡した。叙上ピケツト隊員の行動と同人の死亡との因果関係は必ずしも明らかではないが、重症患者をこのように遇することは治療効果を減殺し、その病状の悪化に拍車をかけるものであることは推察に難くない。)。

〈10〉 第一〇波ストライキ時、氏名不詳の乳幼児(病名不詳)が母親に連れられて千葉県館山市から来院したが、「医科歯科大学病院へいけ。」「他の小児科病院へいけ。」等といわれて通行を阻止された。

〈11〉 第一〇波ストライキ時、菅谷桂子(眼科疾患)が眼の不自由な状態で来院したが、ピケツト隊員(看護婦)から「今後もストライキがあるから他処へいつて下さい。」等といわれ、通行を阻止された。

〈12〉 第一〇波ストライキ時、栗田政子(眼科疾患)が胃病を併発して来院したが「スト中につき医科歯科大学病院へいつてくれ。」「眼科では胃病は治せない。」といわれて通行を阻止された。

〈13〉 第一〇波ストライキ時、永田晶子(整形外科疾患)が診療を受け、かつ、検査結果を聞きに来院したが、ピケツト隊員から「この程度なら治療の必要がないから帰つて下さい。」といわれて通行を阻止され、ピケツテイング解除まで待機する外はなかつた。

〈14〉 第一〇波ストライキ時、小川恒子(耳鼻科疾患)が受診のため来院したが、ピケツト隊員から「重患以外は診療しない。」といわれ通行を阻止され、やむなく帰宅した。

〈15〉 第一〇波ストライキ時、高野妙子(急性胃炎患者)が受診のため来院したが通行を阻止され、再三入構方を懇願したが目的を達せず、やむなく帰宅した。

以上の認定に反する前記甲第二〇、第二四、第二五号証の記載は真実に合うものとは認め難く、原審における証人中村園子、同永村正志、原審および当審における証人宇田川次保、同高橋フミ、当審における証人高林一男、原審および当審における被控訴人三ツ井本人、同松田本人の各供述中以上の認定に反する部分は信用できず、他に以上の認定を妨げる疏明資料はない。

(3) その他の外来患者の通行阻止事例

当審における証人大野大の証言により成立を認めうる乙第一七七、第一七九、第一八〇、第一八三、第一八五号証の各一、二に当審における証人信田重光の証言を総合すれば、各波ストライキ実施中、日時は詳らかにしえないが、次のような通行阻止の事例があつたことが認められる。

〈1〉 松下光子(腸癒着症患者)が緊急手術を受けるべく来院したが、通行を阻止され、ピケツテイング解除まで待機するのやむなきに至つた。

〈2〉 篠崎幸喜は歩行不自由な老令者で、脊推が曲り、連日激痛を伴う疾患の診療を受けるため来院したが、ピケツト隊員から「本日は急患以外の診察はお断りします。」といわれ通行を阻止された。

〈3〉 植草某が不妊症(長期にわたる治療を必要とする)の診療を受けるため、

〈4〉 渡辺征三が腰痛疾患の診療を受けるため、

〈5〉 大塚せつの義妹某が腸ヘルニアの診療を受けるため、

〈6〉 退院後通院中の肝炎患者(氏名不詳)で明らかに黄疸症状を呈している者が診療を受けるため

それぞれストライキ当日来院したが、通行を阻止され、〈4〉の患者はやむなく帰宅し、〈5〉〈6〉の患者はピケツテイング解除まで待機した。

右認定を妨げる疏明資料はない。

(4) 待機中の患者に対する保護措置

(イ) 当審における証人高橋フミ、被控訴人三ツ井本人は、組合側が、説得員の説得に応じてピケツテイング終了まで待機する患者のためテントを張る方針であつたもののように供述するが、右はいずれも措信しない。前掲「説得虎の巻」にもテントを張ることが予定として記載されているが、右文書の作成経緯に関する前認定事実に照らすと、そのことが組合の方針として定められたものとは認め難い。しかも、現実にテントを張つたことを認めるに足る疏明はない。

(ロ) 前記乙第五一、第一三三号証、原審における被控訴人三ツ井本人尋問の結果により成立を認めうる甲第二号証に原審における証人土屋豊の証言を総合すれば、第一波ストライキの際、ピケツテイングによつて通行を阻止された外来患者が漸増するに至つて、被控訴人松田等が土屋教授に対し、外来患者の待合所を作るよう要求したが、土屋教授は、これを承諾すればあたかも大学側において患者の通行を阻止したと同様の観を呈することになると判断し、右要求を拒否したこと、しかし、土屋教授は、患者が長時間待機を強いられることに同情し、かつ、待機の患者が公道を塞いでいるところから、善処すべき旨警察官から注意を受けたので、組合側に対し、直ちに患者を入構させるよう交渉したが拒絶されたという事情も加わつて、阿部外来婦長等をして患者を誘導して五号館学生ホールに収容したことを認めることができ、右認定を妨げる疏明資料はない(なお、前掲証拠によると、土屋教授の指示により五号館学生ホールに収容された外来患者がさらに栄養課門から医院内に誘導されたことが窺われるが、当該患者の数は証拠上明らかでない。)。

(ハ) 前記甲第二一号証、乙第二九号証に原審における証人井上信弥、原審および当審における証人高橋フミの各証言、当審における被控訴人三ツ井本人尋問の結果によれば、組合側は、ストライキ実施中、東側坂道下の医院建物寄り付近あるいは西側坂道下に一、二個の椅子およびコンロ数個を置き待機中の患者の休憩、採暖の便宜を図つたことが認められるが(写真部分が当該現場の写真であることについて当事者間に争いがなく、説明書部分は本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第七、第二三一号証は右認定を左右する資料となし難い。)、右措置が各波ストライキ実施中継続的に行われたことを疏明する資料は見出せないし、しかもこの措置は不十分かつ不完全といわなければならない。

(ニ) 前記甲第二〇号証中に第九波ストライキ時に説得員が病状の疑わしい患者について坂道頂上にいる井上医師の処まで意見を聞きにいき、ピケツトを通過させた旨の記載があるが、右記載は原審における証人井上信弥の証言に照らし真実に合うものとは認め難い。

(ホ) 井上医師が第九、第一〇波ストライキ当日、医院への入構を阻止された患者の間をパトロールしたことは前認定のとおりであるが、右は組合側苦情処理班の任務を解かれた井上が医師としての責任感から直ちに診療を受ける必要ある患者を入構させ、あるいは、患者の病状の悪化を未然に防止するため自発的にとつた行動であること原審における証人井上信弥の証言により明かであつて、これを組合が患者の病状の変化を危惧して医師井上をして右の措置をとらしめたものと評価することはできない。

2 面会人に対する説得、通行阻止

第二波以降各波ストライキの際控訴人と組合員との間に締結された保安協定には、面会人の構内出入の自由を認める旨定められ(後記3(1)参照)、組合の当初の方針も、面会人が説得に拘らずピケツト通過を希望するときは通行証を与えて通過させるというにあつたが(前記二(一)参照)、外来患者に対する説得、通行阻止の実情に照らすと、各波ストライキを通じ(ことに第九、第一〇波ストライキ時において)面会人の通行が阻止されたことが少なくなかつたことはたやすく推認しうるところである(原審における証人高橋フミの供述は右推認を妨げる資料となし難い。)。通行阻止の具体的事例は第九、第一〇波ストライキ当日にみられる。すなわち次のとおりである。

〈1〉 第九波ストライキ当日午前九時頃ピケツト隊と面会人佐藤徳二との間にいざこざがあつたことは当事者間に争いがなく、写真部分が当該現場の写真であることについて当事者間に争いがなく、説明書部分は本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第二〇、第二一号証、原審における証人佐藤徳二の証言により成立を認めうる乙第六六号証の一、当審における証人穴沢雄作の証言により成立を認めうる同号証の二に原審における証人佐藤徳二、同土屋豊、同井上信弥、当審における証人穴沢雄作の各証言を総合すれば、佐藤徳二は昭和三六年一月二五日未明医院から入院中の母重態の通知を受け、一旦来院した後外出して、同日午前九時頃再び来院し、東側坂道のピケツト隊の人垣をかき分けて入構しようとしたが、腕を組んでいたピケツト隊員から顎を突上げられ、別の入口に向うようにいわれたので、西側坂道入口に廻り、同所のピツケト隊員の間隙を縫つて坂の頂上付近に達した。折柄ストライキ支援にきていた文京区労協議長桜井某がこれを見るや佐藤を突飛ばすような勢で走り寄り、「向側(東側坂道)へ行け。」と怒鳴つたので、佐藤は入院中の母が危篤である旨を述べて応酬したものの、桜井から「一人や二人死んだところでなんだ。現に俺達の仲間が死んだのだ。」と暴言を吐かれた。そこで、佐藤はこれに抗議する中数人の労組員が佐藤を取囲み、多少の揉合となつたが、その間佐藤は全治一週間の左手腕関節部挫創を負つたこと(佐藤の母は同日夜死亡した。)を認めることができる。以上の認定に反する前記乙第六六号証の一の記載部分は真実に合うものと認め難く、原審における被控訴人三ツ井本人、同松田本人の各供述中右認定に反する供述部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

〈2〉 成立に争いのない乙第七三号証の一、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第七三号証の二、第二〇六号証の一、二によれば、第一〇波ストライキ当日午前一一時から腎臓切除手術実施予定の患者安井茂(当時一七歳)の父安井武雄、母代りの姉安井督子が、それぞれ、茂を見舞うべく来院し、ピケツト隊員に面会の趣旨および担当医師から手術の成功率七分三分といわれていることを説明してピケツト通過を求めたところ、拒否され、悶着の末ようやく入構することができたが、手術前茂に会つて見舞うことができなかつたことを認めることができ、右認定を妨げる疏明資料はない。

〈3〉 当審における証人大野大の証言により成立を認めうる乙第一八七号証の一、二によれば、北沢英幸は第一〇波ストライキ当日心臓弁膜症のため入院加療中の妻(後日死亡)を見舞うため来院したが、ピケツト隊員から「ストをしているので帰つて下さい。」といわれ通行を阻止されたことを認めることができ、右認定を妨げる疏明資料はない。

もつとも、組合が第九波以降面会人は栄養課門から入構させる旨方針を変更したこと前述のとおりであり(前記二(二)参照)、前記甲第二一号証と原審および当審における証人高橋フミの証言によれば、第九波ストライキ当日高橋フミが北畠書記長の諒解を得て通行証を所持しない面会人七、八名を栄養課門から入構させるという寛大な措置をとつたことが認められるが後に認定するように保安協定で面会人の出入の自由を確認した条項があるにもかかわらず、面会人に対しても説得を試み組合側の判断でピケツト通過の許否を決するというのが組合の本来の方針であり、しかも現実には右方針にも背いて面会人の入構を阻止した場合が少なくなかつたこと前述のとおりである。

3 教員、インターン生、学生その他に対する通行阻止

(1) 成立に争いのない乙第一〇五号証と原審および当審における証人土屋豊の証言によれば、第二波以降各波ストライキの都度締結された保安協定書には、「一、教育(学生、生徒及びインターン生の講義実習)は平常通り行うこと。二、教員は平常どおり教育に従事するは勿論争議に関係なき教職員、学生、生徒、インターン生、面会人(中略)が構内出入の自由を認めること。」との付記がなされていたこと、控訴人と組合との間において、右付記条項の二の文言にかかわらず学生、インターン生の通行は組合の指示(たとえば、学生、インターン生は栄養課門から出入せよという如き指示)に従う趣旨の合意が成立した事実はないことを認めることができる(第二波以降各波ストライキ時にいずれも保安協定が締結されたこと、右協定において上記付記条項((ただし、インターン生、面会人に関する部分を除く。))が定められていたことは当事者間に争いがない。)。右認定に反する原審における被控訴人三ツ井本人の供述は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

(2) 前記乙第五一号証、原審における証人石塚司農夫の証言により成立を認めうる乙第五四号証、右証言により当該現場の写真であることを認めうる乙第一四〇号証に原審における証人井上信弥、同石塚司農夫、原審および当審における証人土屋豊、当審における証人長峰敏治の各証言を総合すれば、第一波ストライキ当日約五〇名の医師(その中には教員も含まれる。)が組合の通行証を交付されて正面入口から入構したこと、第二波以降は、非組合員たる教員、医師はストライキ開始時刻前に出勤し、あるいはストライキ前夜から泊込む等の配慮を払つたため、これらの者の通行に関しては概ね悶着を生じなかつたこと、ただし、

〈1〉 第九波ストライキ時、土屋教授が保安協定締結後連絡のため正面入口から医院内に入構しようとしたところ、スクラムを組んだピケツト隊員から肘で脇腹を小突かれ、向脛を蹴られたこと、

〈2〉 第九波ストライキ時、石塚学務部長が保安協定締結後協定書原本を持つて正面入口から医院内に入構しようとしたところ、ピケツト隊員から足をからまれたり、小突かれたりして入構できず、栄養課門から入構したこと、

〈3〉 第一〇波ストライキ時、土屋教授が所用のため正面入口から医院内に入構しようとした際、前記〈1〉と同様の仕打を受けたこと、

〈4〉 第一〇波ストライキ時、医師長峰敏治が入院患者診療のため正面入口から医院内に入構しようとしたところ、「栄養課門から入れ。」と指示されたので、同門にいくと「通行証を持つてこい。」等といわれたが、種々交渉の末ようやく入構しえたこと

等の事例があつたことが認められる。前記甲第二〇号証中右認定に反する部分は真実に合うものとは認め難く、原審における証人中村園子の供述中右認定に反する供述部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

(3) 前記乙第三一ないし第三三、第一九七号証、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第七〇号証、原審における証人雪下国雄の証言により成立を認めうる乙第八〇ないし第八三号証に原審における証人雪下国雄、同石塚司農夫の各証言を総合すれば、

(イ) インターン生、学生は、第一波以降第八波ストライキ実施中は、ピケツトを通過して正面玄関から入構することが許されていたが(通行証を要しなかつた。)、組合側は第九波ストライキにあたり従前の方針を変更してインターン生、学生は栄養課門から入構させる方針をとつたこと、これより先、インターン生は引続くピケツテイングによつて医院内への入構が阻止され、昭和三六年三月に控えた医師国家試験の受験資格要件である実地修練の日数を確保できなくなることを憂慮し、第九波ストライキの前日、代表二名を介して、被控訴人両名および永村正志に対し実情を述べてインターン生の入構を阻止しないように申入れ、永村からその確約を得たこと、しかるに、組合側がピケツト隊員にこの点を周知させなかつたため、インターン生の一部は第九波ストライキ当日ピケツト隊員によつて正面入口からの入構を阻止され、栄養課門から入構した数名を除いて帰宅を余儀なくされたこと(入構しえたインターン生が実習に従事したかどうか必らずしも明瞭でない。しかし、前述のような第九波ストライキ当日の外来患者入構者数が極端に少なかつたことに徴すれば、すくなくとも外来患者を対象とする実習はほとんど不可能であつたことが推認される。)、

(ロ) 大学三年の学生は、一、二月(冬学期)午前に割当てられた第一時限の臨床講義、第二時限の外来実習(外来患者を対象とする診療実習)に必要な白衣、聴診器、額帯鏡等を登校時に医院玄関下のロッカーから取出すのに正面入口から入構するのを常としていたところ、第九波ストライキ当日正面入口からの入構を拒否された学生(雪下国雄外数名)が出たのを発端として、学生自治会の名で被控訴人三ツ井に対し抗議した結果、同被控訴人から学生が今後正面入口から入構することにつき諒解を得たこと、しかるに、学生が第一〇波ストライキ当日正面入口から入構しようとしたところ、またまた入構を阻止されて、紛糾を生じ、学生代表四、五名と被控訴人三ツ井との話合の末午前一一時三〇分頃になつてようやく入構することができたこと、第九、第一〇波を通じて、入構を阻止された学生は第一時限の臨床講義を受講できなかつたし、第二時限の外来実習は、前述のとおり診療を受けえた外来患者そのものが少なかつたため、栄養課門から入構しえた学生もこれを受けえなかつたこと、なお、第九、第一〇波ストライキ時に学生が医院正面入口から入構しようとしたのは前記のような実情によるものであつて、なんびとかから特別の使嗾を受けたことによるものではなかつたこと

を認めることができる。前記甲第二〇、第二五号証中右認定に反する記載部分は真実に合うものとは認め難く、原審における証人宇田川次保、同永村正志、同中村園子、同高橋フミ、当審における証人高林一男、原審および当審における被控訴人三ツ井本人の各供述中右認定に反する供述部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

(三) 大学側苦情処理班に対する妨害

前記乙第五一、第五三、第八四、第一三三号証、当審における証人長峰敏治の証言により成立を認めうる乙第五二号証に原審における証人井上信弥、原審および当審における証人土屋豊、当審における証人穴沢雄作、坂本豊吉、同信田重光の各証言を総合すれば、第一波ストライキ時、大学側苦情処理班(非組合員たる各科の医師一、二名宛を以て構成され、受診阻止を受けた外来患者が入構し得るよう組合に交渉することを目的とし、組合側も予めこれを諒承していた)がピケツトの前面組合側苦情処理班の机に並べて机を設置したところ、組合はこれを「ピケ破り」「労調法違反」と非難し、大学側苦情処理班をしてその机を撤去するのやむなきに至らしめたこと、各波ストライキを通じ、大学側苦情処理班の医師が待機中の患者の病状等を問診し、あるいは組合側説得員に対し入構勧告を試みるや、組合員、外部団体員等がその間に割込んできて、「引込め。」「客引のような真似をするな。」「病院の手先。」「お前達の出る幕ではない。」「ぶつ飛ばすぞ。」等々口を極めて医師を罵倒威迫し、問診、勧告を妨害したこと(第三波ストライキ当日坂本医師の組合側説得員に対する勧告について組合側の妨害があつたことは前述した。)、大学側苦情処理班はピケツテイングの激化した第九波ストライキ時に組合の申入により医師を四、五名に減ぜざるをえなかつたのみならず、その活動も見張程度に止まつて、当初の目的を達するに由なかつたし、第一〇波ストライキの際は、保安協定締結に当り、組合側から「大学側苦情処理班はピケツトによる患者の通行阻止の邪魔になるから引込め。」と要求され、現場での苦情処理は事実上不可能と考えられたので、三名位の医師を出動させたほかは後記バリケードの内側に退去したこと、組合側説得員の説得により、待機させられていた外来患者について大学側苦情処理班の医師がこれを入構せしめるようピケ隊員に交渉し、このため組合側説得員との間に紛議を起したという例もなくはないが、医師が殊更に組合側説得員の説得活動を妨害した事実はなかつたことを認めることができる。右認定に反する甲第二〇号証の記載部分は真実に合うものとは認め難く、原審における証人中村園子、原審および当審における証人高橋フミ、当審における被控訴人三ツ井本人の各供述中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

五、法律上の判断

以上の認定事実に基づきピケツテイングが労働組合法第七条第一号にいう「労働組合の正当な行為」といいうるか否かについて判断する。

(一) 一般に労働組合がストライキに当り、その実効を減殺する行為をなすおそれがある者の事業施設への入構を阻止するため、組合の統制下にピケツテイングを実施することは、ストライキの効果を確保するため必要な手段であつて、争議権の行使として法的に保障されているところである。しかし、ストライキの効果を確保するという目的の故に一切の態様のピケツテイングが無制約的に是認されると解すべきではない。まず、人の生命、身体の安全を脅すような行為はピケツテイングとしてもこれをなしえないことは条理上当然である。さらに、事業施設に入構することが相手方の権利行使もしくは法的利益享受のため不可欠の前提をなす場合あるいは相手方が入構の自由を保有する場合であつて、その者がピケツテイング実施中に拘らず事業施設に入構しようとする目的が客観的にみて相当であるときは、争議権の行使も相手方のかかる立場と矛盾しない限度においてのみ許容されるものというべきであり、叙上争議権を有する労働組合と一定の法的立場に立つ相手方の利益調整の見地からすれば、右のような相手方に対するピケツテイングは口頭または文書による平和的説得、すなわち、組合の主張その他争議の実情を訴え、事理を説き、相手方をして理性に基く自主的判断と自由な意思によつて事業施設内への入構を断念させる態様のものに限られると解すべきである。したがつて、暴力の行使を伴う如きピケツテイングを「労働組合の正当な行為」となしえないことは勿論(労働組合法第一条第二項参照)、表面上説得と称するものも、当該事情のもとにおいて実質的には相手方の判断の自由を奪い、自由意思を制圧する効果を生ずる行為あるいは人垣を作つたりスクラムを組んだりして相手方の入構を阻止する行為は許されないと解すべきである。叙上説示した点は争議状態にある病院の労働関係の外にある外来患者その他の第三者に対するピケツテイングについても妥当する。以下に場合を分けて考察する。

(1) 外来患者

医療事業は人の生命、身体の維持、管理を司る使命を社会的に付託されたものであるところ、右事業の対象たる患者が傷病につき一刻も早く適切な診療を受け、生命、身体に対する危険を除去し、心身の不安、苦痛を解消するため診療を求めるということは、当然のことであり、医師法第一九条第一項が「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と規定した所以も、患者が自己の選択した医師の診療を受けうる利益を重要なものとして尊重し、これを法的に保障したものと解される(医師法第一九条第一項の規定は、直接には、医師に対し正当な理由なしに職務の執行を拒みえないという公法的な義務を課したに止り、患者に請求権を賦与したものではないが、右規定は医師に対する職務執行の義務付けを介して国民に上記利益を保障したものと解される。医師が右義務に違反した場合、私法上、不法行為に基く損害賠償義務を生ずると解されるのも、上記のような受診利益の公法的保障を是認してはじめてよく理解しうるところである。)。ところで、医療事業が患者の傷病に対する適切な診療の実を挙げるためには、必要な人的物的施設を保有し、その機能を十全に発揮しうる診療態勢を整えることが要請されるのであつて、医療法が病院について開設許可制をとり、物的施設の構造設備および保有人員等につき基準を定め(同法第二一条)、あるいは営利を目的とする開設を許さないこととし(同法第七条)、病院の管理者に対し医師、薬剤師その他の従業者に対する監督義務を課する(同法第一五条第一項)等病院の組織および運営について種々の規制を加えているのも、畢竟、患者が「科学的で且つ適正な診療を受けることができる便宜を与える」(同法第一条第一項)という病院の社会公益的機能を確認し、病院をしてこの社会的要請に応えるべき診療目的にそう人的物的施設を整備させるとともに、右のような病院の機能を信頼し、態勢の整つた病院での診療を求めて来院する不特定多数の患者に対し間接的に病院による医療サービスを享受する利益を賦与しようとするものといわなければならない。病院の診療を求める患者が法的に保障された利益を有する者であること叙上のとおりである。そして、患者が診療を受けるため病院に来院する場合に当該患者の傷病の容態、要治療性の強弱は様々でありうるが、生命に対する急迫な危険を蔵し、あるいは身体に対する危険を顕著に現実化しているため、可及的迅速な診療を必要とする傷病を有する患者が診療を受ける目的で病院内に入構しようとするのをピケツテイングによつて阻止する如きは条理上断じて許されないところであり、傷病の容態あるいは要治療性が右の程度に達しない患者についても、およそ、傷病の自覚が多かれ少なかれ人に苦痛と不安を与えるという一般的経験事実に鑑みれば、患者がピケツテイング実施中に拘らず診療を受けるべく直ちに病院内に入構しようとする目的は客観的にみて相当というべきであるから、右患者に対するピケツテイングは厳格に平和的説得の範囲に止まるべきものといわなければならない。

(2) 面会人

危篤状態に陥つた患者、成功率の低い手術を受け、あるいは死の転帰をとるやも測り難い患者等の親族が患者に面会しようとするのは人倫に発する崇高自然の感情であつて、かかる面会人が病院内に入構するのをピケツテイングによつて阻止することが許されないのは多言の要を見ないところである。面会の必要性が右の程度に達しない面会人の場合においても、一般に面会人が労使関係の外にある第三者であつて、面会のため病院内に入構する自由を有する者である以上、入構目的が患者の見舞等客観的に相当と認められるときには、当該面会人に対するピケツテイングも平和的説得の範囲に止まるべきものと解するのが相当である。

(3) インターン生、学生

インターン生は医師国家試験の受験資格を取得するために一年以上の診療および公衆衛生に関する実地修練を経ることを必要とする(医師法第一一条)、労使双方に関係のない第三者たるインターン生が実地修練のため病院内に入構する自由を有することは明らかであり、該入構目的はそれ自体相当であるといいうる。また、学生が自ら選んで入学した大学において医学の課程を履修することは、それが医学的知識を修得し他日実社会において活動する基礎となる点、ことに医師国家試験受験資格の取得要件をなす点(医師法第一一条)において、学生の重大な利益をなすものであつて、学生が右教育課程たる臨床講義、外来実習を受けるため病院内に入構することは学生の自由であること明らかであり、該入構目的もそれ自体相当であるといいうる。それ故、インターン生、学生に対するピケツテイングも平和的説得の範囲に止まるべきこと喋々を要しないところである。

(4) 医師、職制者

労働争議の当事者たる組合に属していない従業員たる医師は病院経営者との労働契約に基いて就労する自由を有し、また、使用者側の利益代表者は事業の運営管理の職責を有する。これらの者が就労ないし職務遂行のため病院内に入構しようとする場合に向けられるピケツテイングについても前同様である。

(二) 以上の見解に反し、「わが国における労使関係、特にその争議方法の実態やストライキに対する一般市民の理解水準等の現状に鑑ると、上記のような平和的説得の方法によつては外来者の意思を飜えさせ、病院への入構を阻止する目的を実現することは困難であり、延いてはストライキの実効を確保できない場合が存すること、ストライキが団体行動の重要なものとして憲法の保障する基本権に属すること等をあわせ考えると、実力により第三者の入構を阻止する等ピケツテイングが平和的説得以上の積極性を帯びたからといつて、一概にこれを不当視することはできない。」とする見解は当裁判所の採らないところである。けだし、往々にして、平和的説得の範囲を逸脱した争議方法が採られるからといつて、また、平和的説得の限度内でのピケツテイングでは、市民の理解水準が低いため、実効を収め得ないからといつて、この限度を超える争議権の行使を認めることは、労使関係外の第三者に不当に不利益を転嫁し、またはその自由を制約し、第三者の基本的人権を侵害することとなり、憲法第二八条は、かかる所為までも保障したものとは到底解せられないからである。

(三) 叙上の見地に立つて、本件をみるに、前記認定事実によれば、組合が一〇波に亘り実施したストライキに際し、組合のピケツテイングによつて第三者たる外来患者、面会人、インターン生、学生、非組合員たる医師、職制者の医院内への入構が相当程度阻害され、ことに外来患者および面会人に対する入構阻止は条理上到底許容しえないこと明白な事例(前記四(二)1(1)の〈1〉〈3〉〈4〉〈5〉〈9〉〈10〉、同(2)の〈4〉〈6〉〈9〉〈15〉、同(3)の〈2〉、同2の〈1〉〈2〉〈3〉)を多数含み、そうでないまでも、全体的にみて、明らかに平和的説得の範囲を越え、表面上説得と称しつつ、その実質は外来患者面会人の判断の自由を奪い、自由意思を制圧する効果を生ずる言動を敢えてし、第九、第一〇波ストライキ時には人垣を作りスクラムを組んで入構を阻止する等まことに過激な様相を帯びたものであつたことが明らかである。

もつとも、控訴人が第一波ストライキ直前の昭和三五年一二月一〇日非組合員のみに対し年末手当の仮払をなし、組合員に対してはその仮払をしなかつたこと(後記その二、九参照)、同日控訴人が組合に対し、組合費のチエツクオフ中止を通告したこと(後記その二、一〇参照)等控訴人側に不当労働行為の譏を免れないものがあり、また、同年同月二一日の第一〇回団体交渉の後は団体交渉による争議の平和的解決の場が失われたこと(後記その二、一参照)等の事態が重なり、これらが組合をして過激な争議手段に走らしめる一原因となつたことは否定することができない。しかし、このように、使用者側が不当労働行為の禁止に反するような行為に出た場合にも、組合側としては、法の定める手続に従つて救済を求めるべきであり、使用者側の違法行為に対抗して不法な争議手段に訴えることは許されないものといわねばならない。また被控訴人等は控訴人の従業員が当面している劣悪な労働条件や前近代的な労務管理を強調し、これを打破し改善せしめるためには、激しい争議方法によるの外なかつたと主張する。本件弁論の全趣旨によれば、被控訴人等主張の労働条件等の改善要求が本件争議の底流をなすものであつたことが看取できるが、さればとて、組合が前示のようなピケツテイングを行うことが許されるものでないこと勿論である。叙上の諸点を考慮に容れつつ、本件におけるピケツテイング実施に関する前記認定事実を総合すれば、本件ピケツテイングは到底これを「労働組合の正当な行為」と評価することはできない。

(四) 本件争議は被控訴人等組合三役が中心となつて企画、決定、指導したものであり、ことに各波ストライキに際しては組合三役はピケツテイング現場中央に設けられた本部に常駐し終始組合員および支援の外部団体員を陣頭指揮し、率先して争議行為を実行したのである(この点は前述のとおり当事者間に争いがない。)。前記ピケツテイングがピケツト隊員の偶発的逸脱行為であつて被控訴人等組合三役がこれを制止することを期待しえない実情にあつたとの点については適確な主張立証がない。よつて、被控訴人等は組合が実施した前記ピケツテイングの不当につき組合幹部として当然その責任を負担すべきものといわなければならない。

その二 不当労働行為意思の有無

控訴人が本件解雇の理由としたピケツテイングの不当性を肯認しうること前段説示のとおりである。ところで、使用者が解雇の理由とした事実が存在し、かつ、それが合理的であつても、使用者の解雇についての決定的動機が被解雇者が組合員であることもしくは労働組合の正当な行為をしたことにあるならば、当該解雇は不当労働行為であることを免れない。本件において、被控訴人等は控訴人が被控訴人等を解雇するに至つたのは、まさに被控訴人等が組合員であることもしくは労働組合の正当な行為をしたことによるものであるとなし、控訴人の当該不当労働行為意思を推測させる根拠として原判決事実欄第二、五、(一)掲記の諸般の事実を主張するので、以下に被控訴人等主張の順序に従つてその当否を判断する。

(事実関係)

一  団体交渉について。

(一) 本件解雇に至るまでの団体交渉の経緯

前記甲第二号証、成立に争いのない甲第七号証の三、第二八、第三一、第六〇、第六一号証(甲第六〇、第六一号証中傍線の成立は争いがあるが、当該傍線は認定資料から除く。)、乙第四四、第一〇二、第一四七、第一四八、第一五〇、第一五三、第二〇四号証、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一号証、乙第一〇六号証の一に、原審における証人東俊郎の証言により成立を認めうる乙第一二五号証、原審における証人懸田克躬の証言により成立を認めうる乙第一二七号証、原審における証人懸田克躬、同村上弘、原審および当審における証人東俊郎、当審における証人大野大の各証言、原審における被控訴人松田本人尋問の結果ならびに本件弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 組合が控訴人に対し提出した前記第一、二(イ)(ロ)掲記の要求に対し、控訴人は昭和三五年一一月一四日、「(イ)の要求については誠意をもつて今後検討を加えるが、現状ではこれに応じられないので、昭和三五年度としては当初予定していた二ケ月分の年末手当に三、〇〇〇円をプラスした額を賃金増額および年末手当に見合うものとして支給する。」旨回答した(このことは当事者間に争いがない。)。右回答は控訴人側交渉委員が昭和三五年一一月一四日(午後四時から六時五〇分まで)の団体交渉(第一回)の席上で提示したものであるが、組合側はこれに対し一顧だに与えなかつた。

(2) 同年同月一八日の団体交渉(第二回)は、組合側が出席者名簿を提出しないのみならず、交渉人員について控訴人側と組合側の意見が食違つたまま時間切れとなつたため、なんらの成果も得られなかつた。

(3) 同年同月二一日(午後四時から八時まで)の団体交渉(第三回)において、控訴人側交渉委員は、第一回交渉の際の回答について具体的説明を行つたが、組合側交渉委員は納得せず、当初要求を譲らなかつた。

(4) 同年同月二五日(午後五時から一一時まで)の団体交渉(第四回)において、控訴人側は、「(イ)年末手当二ケ月プラス一律二、〇〇〇円と昭和三六年一月から三月までの間の賃金増額に見合う一時金として一律一ケ月五〇〇円(三ケ月合計一、五〇〇円)を支給する。(ロ)昭和三六年四月以降の給与については、健康保険一点単価一円値上の場合には賃金増額約二、〇〇〇円、定期昇給約六〇〇円計二、六〇〇円(平均)の増額を確約する。また、右保険単価値上のない場合でも、定期昇給を含め約一、六〇〇円(平均)の賃金増額を約束する。(ハ)年末手当は、昭和三五年一一月中に右回答の線で妥結できなければ、例年どおり一二年一〇日に支給することは不可能である。(ニ)最低保障中卒初任給一万円は現状ではなしえない。しかし、昭和三六年四月より実施される新給与体系においては、低所得者を現在よりも合理的に補正していく予定である。(ホ)新給与体系は昭和三六年二月中旬頃まで原案完成の見込である。」旨回答した(控訴人の回答内容は括弧内の部分を除き当事者間に争いがない。)。しかるに組合側は右回答を組合員に報告することなく、交渉直後これを一蹴し去つた。

(5) 昭和三五年一一月二八日(午後五時二〇分から一一時まで)の団体交渉(第五回)において、控訴人側は、その回答を第一回交渉のそれに戻す旨回答した。右は、組合側が控訴人の第四回交渉の回答を一蹴したのみならず、同月二四日の代議員会でスト権確立のための投票を行うことを議決し、スト権の集約を開始したので、控訴人において組合に平和的解決の誠意がないものと考え、その反省を求める趣旨でなしたものであつて、なんらスト権集約に対する報復ないし攻撃の意図を含むものではなかつた。

(6) 同年同月三〇日(午後五時二〇分から一一時まで)の団体交渉(第六回)において、控訴人側は、「賃金増額および最低保障については第四回交渉の回答を維持する。年末手当については二ケ月プラス三、五〇〇円(三、五〇〇円は昭和三六年三月までの間の賃金増額に見合う一時金として)を支給する。」旨回答したが、組合側は当初要求を固持するのみであつた。

(7) 組合は昭和三五年一二月七日および八日の両日控訴人に対し団体交渉を申入れたが、控訴人はこれを拒否した。右は、控訴人がかねて組合側に対しその要求の具体的事由を明らかにするよう要求していたにかかわらず、組合側から交渉申入に際しなんら右事由の開示がなく、そのままでは協議の進展をみないことが明らかであつたので、組合の再考を促すという趣旨に出たものである。

(8) 同年同月九日(午後六時から一〇日午前三時まで)の団体交渉(第七回)において、控訴人側は、同月一〇日以降実施を予告されたストライキを回避するため、従前の回答のほか、「(イ)最低保障については昭和三六年二月半頃までに組合の意向を汲んで新給与体系を作るから、その上で組合と協議して決めることとするが、中卒初任給で八、〇〇〇円ないし八、二〇〇円を下廻ることはない。(ロ)年末手当二ケ月プラス三、五〇〇円(うち三、五〇〇円は昭和三六年三月までの間の賃金増額に見合う一時金として)について妥結し、その他の要求事項については昭和三六年三月までに平和裡に話合うことを約束すれば、右年末手当については即時仮払する。」旨回答し(控訴人の回答の内容は当事者間に争いがない。)、この点について徹宵交渉を試みたが、結局、組合側の容れるところとならなかつた。このようにして交渉不調のため交渉委員が退席する間際になつて、組合側は、突然、「年末手当については二ケ月分で妥結する旨通告します。」と記載した文書(執行委員長たる被控訴人三ツ井名義の控訴人宛文書)を控訴人側交渉委員に手交しようとした。しかし、控訴人側は、従来から年末手当の件は賃金増額、最低保障の件と一括してこれを取上げ、上記問題の全部につき一挙に妥結を図るという方針をとつてきた関係上、年末手当についてのみ妥結する旨の組合側提案を容れ、その他の案件を後日に留保するというのでは全体的解決をみる所以でないと考え、かつまた、上来説示した団体交渉の経緯、ことに当初要求を一歩も譲らない組合側の強固な態度に照らすと組合側の前記提案の真意が奈辺にあるか測り難いとして、前記文書の受領を拒んだため、年末手当のみについて妥結をみることはできなかつた(組合側が年末手当については二ケ月で妥結する旨通告したが、控訴人側がこれを拒んだことは当事者間に争いがない。)。

(9) 昭和三五年一二月一二日(午後九時から一一時まで)の団体交渉(第八回)において、控訴人側は、翌一三日のストライキを極力回避すべく、従前の回答中昭和三六年四月以降の二、六〇〇円の賃金増額については、低所得層、永年勤続者ともども潤うように、内一、五〇〇円を一律、その余の一、一〇〇円を平均とすることを提案し、右提案を検討中、多数の組合員および上部団体員が第一号館内の団体交渉場所の内部に侵入しようとする険悪な状況となり、控訴人側交渉委員が被控訴人三ツ井に取鎮方を要請したが、効果がなかつたので、控訴人側の申入で団体交渉を打切つた。

(10) 昭和三五年一二月一四日、組合は控訴人に対し団体交渉を申入れたが、控訴人は即日これを拒否した。右は、第八回交渉の経緯や組合が当初要求を固執して一歩も譲歩せず、解決のための具体案を示さない態度に終始していることおよび第一波ストライキの時組合から保安要員の提出がなく診療業務に支障を生じたこと等からして、控訴人において、組合に紛争を円満に自主的に解決する意思がないものと断じたことによるものであつた。

(11) 同年同月一九日の団体交渉(第九回)において、控訴人側は、年末手当および昭和三六年三月までの給与増額に見合う一時金ならびに最低保障賃金については従来の回答どおりであるが、同年四月からの定期昇給を含む賃金増額については、(イ)最低を健康保険一点単価一円以上値上が実現すれば定期昇給を含み約二、六〇〇円とするが、三、〇〇〇円の線に近付けるよう予算措置その他によつて努力する。(ロ)その中一、五〇〇円については一律増額とし、残りについては永年勤続者に不利益とならぬよう平均で処理するとの案を提示した(この点は当事者間に争いがない。)。しかし、右提案も妥結に至らなかった。

(12) 控訴人は、昭和三五年一二月二一日の団体交渉(第一〇回)において、前記回答の根拠を詳細に説明したが、組合側は年末手当および一時金ならびに最低保障に関する控訴人側回答については諾否を明らかにせず、昭和三六年四月以降の賃金増額に関する回答については当初要求のとおり一律三、〇〇〇円増額の要求を繰返すのみで譲歩しなかつたため、遂に物別れとなつた。

(13) 控訴人は、組合が一〇回に亘る団体交渉にも拘らず終始当初要求を固持したまま一歩も譲歩せず、控訴人の回答を受諾しないので、さらに昭和三五年一二月二四日経理説明会を聞き、大野事務局長をして組合側(被控訴人三ツ井および永村正志)に対し控訴人の経理状態の詳細を説明させたが、組合は閉会後同日中に控訴人に対しさらに説明の追加を求める書面を交付したので、大野事務局長が再び説明会を開くことを申入れたところ、組合は説明会では足らず団体交渉を開催せよと要求したので、経理説明会は開かれないままに終つた。

(14) この前後にかけて組合は同年同月二二日、二三日、二六日、二八日、昭和三六年一月五日、一一日、一六日、二四日、二五日、二月二日の各日に、控訴人に対し団体交渉を申入れたが、控訴人は、第九回交渉時の回答に対する諾否以外に団体交渉を開催する必要がないとの理由によりいずれも申入を拒否した(控訴人は、原審において、「団体交渉が開かれなかつたのは、控訴人が前掲最終回答(第九回交渉時の回答を指す。)に対する諾否以外に団体交渉は開かないとの態度による。」旨の被控訴人等の主張事実を自白しながら、当審においてこれを撤回する旨陳述するが、右自白が真実に反するとの点について証明がないから、右自白の撤回は許されない。したがつて、当該事実は当事者間に争いがないとすべきである。)。右は、組合が一〇回にわたる交渉の間全く妥協の色を示さず、剰え累次に亘る違法なピケツテイングを敢行したことから、控訴人側が組合に平和的解決の誠意がないと判断したことによるものである。

前記甲第一、第二号証、乙第一二七号証、成立に争いのない乙第九九号証中右認定に反する記載部分は採用し難く、原審における証人村上弘、同倉元恭一、同懸田克躬、当審における被控訴人松田の各供述中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

以上認定したほか、前記甲第一号証には、組合が昭和三五年一二月五日、一六日(二回)に団体交渉申入をしたが、控訴人から拒否された旨の記載があるが、右記載のみをもつて直ちに申入ならびに拒否の事実を肯認すべき資料となし難い。また、成立に争いのない乙第一四六号証によれば、組合が昭和三五年一二月一〇日に時刻を同日午前八時五〇分と指定して団交申入をしたことが認められるが、右申入がどのような結果に終つたかを明らかにすべき資料はない。

(二) 控訴人の回答の根拠

前記乙第一二五、第一二七号証、成立に争いのない甲第二九、第三〇号証、乙第一四四号証に原審における証人懸田克躬、原審および当審における証人東俊郎、当審における証人大野大の各証言を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1 控訴人の会計は経常部会計と臨時部会計に分れる。大学および医院の経常的業務運営のための会計たる経常部における収入(経常収入)は病院収入、学校収入、法人収入から成り、支出(経常支出)は人件費、物件費、総研究費、臨時部への繰入金から成り、経常部経費では賄えない臨時的事業のための会計たる臨時部における収入(臨時収入)は寄付金、借入金、建設積立金戻入、経常部からの繰入金等から成り、同じく支出(臨時支出)は建設費、借入返済金等から成つていた。そして、私立医科大学において経理上付属病院の占める比重が大きいことは控訴人の場合も同様であつて、経常収入の大部分は病院収入に依存する反面、人件費、物件費等経常支出も大部分は病院関係のものであつた。控訴人の事業運営方針として、給与等の人件費は経常支出の四〇パーセントをこれに充て、残余の六〇パーセントを物件費(その大半は薬品材料費)その他に充てるという予算編成を行つていた(人件費が経常支出中に占める上記割合は他の医科大学に比して低くなかつた。)。また、夏期手当は前年度下半期(一〇月から三月)、年末手当は当年度上半期(四月から九月)の剰余金をもつて支給するのが例年の経理慣行であつた。

2 ところで、控訴人は、先に昭和三五年春闘において、都労委の斡旋により組合との間で同年五月七日、同年四月分給与より定期昇給を含め平均一、七五〇円の賃金増額等を協定し(右協定の成立、内容は当事者間に争いがない。)、これに伴い当該賃金増額を含めて三五年度予算を組替えており、しかも、昭和三五年度も大半を経過した昭和三五年一一、一二月当時において再度予算の組替をすることは至難のことに属した。

3 以上のような実情のもとに控訴人がなした回答の経理的根拠は左のとおりであつた。すなわち、

(1) 控訴人は年末手当については、二ケ月分支給することとし、給与増額については昭和三六年四月以降の新給与体系において考慮するが、とりあえず昭和三六年三月までの給与増額に見合う一時金を支給することとし、右年末手当二ケ月分合計一、二〇〇万円、一時金(一人三、〇〇〇円として)合計二三〇万ないし二四〇万円の総計約一、四〇〇万円の原資を昭和三五年度上半期の剰余金約一、七〇〇万円の中に求めた。これが第一回団体交渉における控訴人の回答の基礎となつた。その後、控訴人は、第四回団体交渉において、年末手当として二ケ月プラス一律二、〇〇〇円、給与増額に見合う一時金として一律一、五〇〇円を支給する旨回答し、右回答は第九、第一〇回団体交渉においても維持されたこと前説示のとおりであるが、第一回団体交渉における回答を上廻る右回答は上半期剰余金の残額約三〇〇万円をも追加財源に充てるという裁断に基くものであり、控訴人は右裁断に当り診療委員会をして上半期剰余金の診療機械費、厚生費への配分要求を見送ることを諒解させるという措置をとつたのであり、したがつて、控訴人が当初予算に組まれた診療機械費、厚生費を削減してまで組合の前示要求を応諾することが許されるような事情にはなかつた(その他経常支出中人件費以外の費目の削減が許されたかどうかを適確に疏明すべき資料はない。前記甲第二九号証によれば、昭和三五年度決算においては診療機械費、厚生費のいずれもが予算を若干上廻つて支出されたことが認められるが、右は昭和三五年度下半期における予算操作によるものと推認されるから、右支出があつた事実は上記認定と相容れないものではない。)。

(2) 控訴人は、第四回団体交渉において、昭和三六年四月分以降の給与について健康保険一点単価一円値上の場合には平均約二、六〇〇円、右単価値上のない場合にも平均約一、六〇〇円を増額するという構想を明らかにしたことは前説示のとおりである。右は昭和三六年度における病院収入の見込増加分を原資として一、〇〇〇円、健康保険一点単価値上を前提としてこれを新規に見込みうる原資として一、〇〇〇円の各増額をし、これに定期昇給六〇〇円を加算するという計算に基くものである。右回答は給与増額が健康保険単価値上にかかつている点において一応不確定的要素を含むものであることは否定できないが、当時健康保険単価の値上は客観的にはほとんど必至の情勢にあつた。爾後控訴人が昭和三六年四月分以降の給与増額についてさらに譲歩を示したことはさきにみたとおりである。

4 以上認定した事実に団体交渉の経緯に関する前掲事実をあわせ考えると、控訴人が組合の要求に対し数次に譲歩をなして提示した回答はそれぞれ経理的根拠に基くものであつて、争議の平和的解決を志向する控訴人の誠意を看取するに足るものであり、かつ、右回答は経理的に可能な相当限度まで譲歩した内容のものと評価できる。この点に関し、前記甲第二九号証と当審における証人大野大の証言とを総合すれば、昭和三五年度決算において同年度の総剰余金は四、七二三万四、〇〇〇円に達し、該金額が臨時部へ繰入れられ、この中から昭和三六年度人件費関係引当金として二、〇〇〇万円が(主として昭和三六年度における賞与加算分として)保留され、また、退職積立金として一、二〇〇万円が支出に計上されたが、計数上なお、二、五九七万七、〇〇〇円の剰余金残額が存し、これから上半期の剰余金約一、七〇〇万円を差引くと約八九七万四、〇〇〇円の残余をみることが認められる。しかし、臨時部における人件費関係引当金、退職積立金等人件費関係の支出が総剰余金額に対して占める割合が決して少くないこと、他方、剰余金に依存する他の臨時部支出項目の削減が可能であつたことを首肯するに足る疏明資料がないこと(成立に争いのない甲第五六号証の記載もこの点に関する適確な資料となし難い。)、そもそも、本件団体交渉が行われた昭和三五年一一、一二月当時は年度途中であり、しかも争議のため波状ストライキが実施されている最中で、期末の剰余金額の予測が困難であつた事情をあわせ考えると、控訴人が前記のような期末の経理状態を予め見通して前記剰余金の相当部分を組合要求にかかる賃金増額の原資に投入することをしなかつたことが経営者として従業員処遇の誠意に欠けるとか、経営方法において拙劣であつたとか非難することは相当でないというべきである。

(三) 団体交渉申入の拒否は不当か。

本件の如き年末手当の支給、賃金増額の要求を交渉事項とする組合との団体交渉においては、労使とも自己の要求あるいは回答が合理的であると信ずる事由を具体的に開示して相手方の検討に資し、これによつて見解の対立を可能な限り緩和、解消し、妥結に導くよう誠意をもつてことに当るべきは当然である。したがつて、使用者が団体交渉の席上、労働者側に対し十分な経理的根拠を説明し、かつ、経理的に可能な相当限度まで譲歩した回答を提示したうえ、労働者側に対し、その要求の合理的事由を具体的に開示するよう求めた場合には、労働者側は先ずもつて右の求めに応ずべきである。しかるに、労働者側がかたくなに自己の要求を譲るべからざるものとし、使用者に対し、右事由を開示することなく、再度団体交渉の申入に及んだような場合に、使用者が労働者側に妥結の誠意がないものとし、右申入を拒否したからといつてこれを不当と断ずることはできないと解するのを相当とする。それ故、本件において先に認定した事実関係のもとにおいては、控訴人が前記(一)(7)(10)(14)掲記のとおり組合の団体交渉申入を拒否したことをもつて不当ということはできない。

二  組合脱退の勧誘について。

前記甲第二号証、乙第一二五、第一二七号証によれば、昭和三五年一二月一日現在組合員の総数は四四四名(その内訳は、医師を含む教員四八名、技術員七四名、事務員六九名、用務員五六名、技術系用務員三〇名、看護婦一四九名、補助看護婦一八名)であつたが、

昭和三五年一二月五日から同月九日までの間に五八名、

同月一〇日から同月二〇日までの間に九六名、

同月二一日から同月三〇日までの間に四七名、

昭和三六年一月五日から同月二五日までの間に一五名

の脱退者があり、その後も脱退者が続き、昭和三六年二月初頃には組合員数は二〇六名に減じたことを認めることができる(組合員数が昭和三五年一二月初頃四四四名、昭和三六年二月初頃二〇六名であったことが当事者間に争いのないことは前述のとおりである。また、昭和三五年一二月一〇日前後頃の脱退者数が相当な数に及んだことも当事者間に争いがない。)。

右脱退に関し、被控訴人等は控訴人が組合脱退届を印刷、用意して、組合員の脱退を勧誘した旨主張する。本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第三八号証および原審における被控訴人三ツ井本人尋問の結果によると、昭和三五年四月大学同窓会(控訴人の有山理事長がその会長の地位に就いている。)が従業員に配布した文書の裏面に組合脱退届がガリ版刷で印刷されていたことが認められるが、右が控訴人の意思に基いて作成されたことを認めるべき疏明資料はなく、他に被控訴人等の前記主張事実を肯認すべき疏明資料は見出せない(なお、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一三号証、当審における証人立野隆子の証言により成立を認めうる甲第六二号証、当審における証人大野大の証言により成立を認めうる乙第二一〇、第二一一号証に当審における証人大野大の証言を総合すれば、組合員が昭和三五年一二月一二日提出した脱退届の中には、控訴人の用箋を使用したものが数通存在するが、右は、組合員が脱退届を作成するに際し、職場に備付けられていた控訴人の用箋を安易な気持で使用したものか、控訴人当局者が組合脱退の意思を表明した者に対し適宜用箋の使用を許したにすぎないものであることが認められる。)。

また、被控訴人等は控訴人が職制を通じて組合員の組合脱退を勧誘した旨主張する。前記甲第一三号証、乙第二一〇、第二一一号証、当審における証人大野大の証言により成立を認めうる乙第二〇九号証の一によれば、組合員が昭和三五年一二月一二日提出した脱退届には控訴人あるいは控訴人総務課長宛のものがあることが認められるが、右の一事により控訴人の職制が組合脱退を勧誘したと認めることはできない(右脱退届は後述のとおり控訴人が非組合員に対し年末手当を支給するという方針をとつていた関係上、組合を脱退しようとする者が年末手当の受給を念頭に置いたため右のような宛名の届書を控訴人に提出したものと推認される。)。また、当審における証人立野隆子は、「昭和三五年一二月一二日当時眼科の事務を担当していた組合員立野隆子は、同日医務課事務室内において、同じ眼科勤務の組合員三名とともに医務課長鈴木さわ子から約一時間に亘り執拗に組合脱退を勧告されもしくは強要された結果、やむなく脱退届を作成提出したが、その間同事務室は施錠されて出入を遮断されていた。」旨供述し、原審における被控訴人三ツ井の供述中にも同旨の供述部分が存するが、右各供述は当審における証人土屋豊の証言により成立を認めうる乙第二三二号証の二および右証言と対比すると信を措き難い。原審における証人倉元恭一の証言により成立を認めうる甲第一八号証中被控訴人らの主張に添うような記載部分、当審における証人後藤億嶺の証言により成立を認めうる甲第六四号証中矢頭一美の氏名抹消部分、同じく甲第六五号証中矢野あさ子、小島ひさ子の各氏名抹消部分ならびに原審における証人村上弘、同倉元恭一、当審における証人後藤億嶺、原審における被控訴人三ツ井本人、同松田本人の各供述中被控訴人等の主張に添うような供述部分はいずれも採用できず、他に被控訴人等の前記主張事実を肯認しうる適切な疏明資料はない。

三  施設利用の禁止について。

前記甲第二号証と原審における証人村上弘の証言によると、組合が昭和三五年一〇月頃北区滝野川所在の看護婦寮娯楽室において前記賃金増額要求に関する職場討議を行つたところ、控訴人総務課から寮管理人に対し組合関係の集会のため娯楽室を使用させてはならない旨の指令があり、以後同室を職場討議の場所として利用することができなくなつたことを認めることができるが、これがため爾後における組合員の職場討議が一般的に妨害されたことを認めうる疏明資料はない。

四  大学同窓会幹部の組合加入申込について。

前記甲第三八号証、原審における証人永村正志の証言により成立を認めうる甲第三三号証、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第一六一、第一六二号証に原審における証人永村正志の証言、被控訴人三ツ井本人尋問の結果を総合すれば、昭和三五年春闘の際、大学同窓会の幹部が被控訴人三ツ井を含む組合役員に会見を求め、組合の争議に関し、組合の活動も医院の大学病院としての存在ないし機能と調和する限度で行うべきである旨の意見を開陳し、組合が同年三月一六日に提出した一律四、〇〇〇円の賃金増額要求を撤回するように要求したこと、同年四月中旬頃、同窓会に属する医師四一名が一時に組合加入を申入れたことを認めることができるが、有山理事長が被控訴人等に組合運営を任せておけないとして、同窓会幹部をして右認定の行動をなさしめた旨の被控訴人等の主張事実を肯認しうる疏明資料はない。

五  被控訴人三ツ井に対する委員長辞任勧告について。

被控訴人等は控訴人が被控訴人三ツ井の上司たる神経科部長懸田克躬教授をして被控訴人三ツ井に対し委員長を辞任するよう強要させた旨主張し、原審における被控訴人三ツ井本人尋問の結果によれば、懸田教授が昭和三五年春闘当時被控訴人三ツ井に対し委員長を辞めるよう勧告したことが認められるが(右認定を妨げる疏明資料はない。)、懸田教授の右勧告が強要的な性質を帯びたものであつたかどうか明らかでないのみならず、同教授が控訴人の意を体して右勧告をなしたとの点を肯認しうる疏明資料を欠く。

六  組合要求に対する非難について。

前記甲第一八号証に原審における証人倉元恭一、同村上弘の各証言によれば、組合の前記要求提出前、右要求の可否を廻つて代議員会の討議がなされた際、当時組合員であつた医師玄蕃某が代議員の代理人として出席し、年末手当要求に賃金増額要求を付け加えると年末手当要求も容れられなくなるおそれがある旨消極的意見を述べたことが認められるが(右認定を妨げる疏明資料はない。)、同医師の右意見陳述が控訴人の意を体したものであつて、代議員会における意見表明の自由の範囲を越え、もつぱら組合要求を非難し、その組織化を妨げる悪意をもつてなされたことを肯認しうる疏明資料はない。

成立に争いのない甲第三号証と当審における証人大野大の証言によれば、控訴人発行の昭和三五年一一月一六日付「順天堂だより」には「今回組合から出された『基本給一律三、〇〇〇円ベースアツプ、最低一万円保障』の要求は(中略)果して学内組合員の経済上止むに止まれぬ総意から発したものであろうか、それとも外部への義理合上出たものであろうか。(中略)組合幹部が他動的に対外的必要から出したものかまたは幹部自身の都合によるものか云々」の記載があり、右は、従業員等が昭和三五年春闘の協定結果について概ね満足したとみていた控訴人が、またまた組合から前記要求を提示されて意外の感を抱き、しかも、右要求の内容が医労連の統一要求と軌を一にしていたところから、それが組合員の真意あるいは自主的要望から出たものかどうかを推量しかねたという事実をそのまま記事にしたものであることが認められる(右認定を妨げる疏明資料はない。)。右記事は、その表現において、一般組合員をして組合要求の形成過程および内容の当否について疑惑を抱かせ、延いては組合幹部と一般組合員の離間を招くおそれなしとしないものであるを否定できないが、記事の全体を通じてみれば、ことがらを一義的断言的に叙述しているものではなく、むしろ控訴人側が抱いた疑問を率直に従業員に訴えることを根本趣旨とするものと認められるのであつて、争議状態にある当事者に認められる言論自由の範囲を越えたものということはできない。

七  団体交渉に対する控訴人の基本的態度について。

被控訴人等は控訴人の団体交渉に対する基本的態度に関し種々論難する。しかし、団体交渉に関する前記一の認定事実に徴すれば控訴人が本件争議を平和的に解決する意思なく、終始誠意ある回答を示さず、組合員の動揺を図る道具として団体交渉を利用した旨の被控訴人等の主張の失当であることは明らかである(本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第五二号証も被控訴人等の主張を肯認すべき資料とし難い。)。

なお、(イ)前記乙第一二五、第一二七号証と本件弁論の全趣旨によれば、有山理事長が本件解雇時までの一〇回に亘る団体交渉に終始出席しなかつたことが認められるが、労働者側の申入によつて行う団体交渉において、法人たる使用者側の交渉担当者たるべき者は、当該法人の代表者に限られず、代表者の委託に基き当該団体交渉事項を処理する権限を有する者を含むものと解するのが相当である。本件において、前記乙第一二五、第一二七号証に原審における証人懸田克躬、原審および当審における証人東俊郎の証言を総合すれば、控訴人側団体交渉委員として団体交渉の衝に当つたのは控訴人の理事東俊郎(医学部教授、体育学部長)、懸田克躬(医学部教授)を含む数名であつて、これらの者はいずれも控訴人から本件団体交渉事項処理の権限を授与された者であることが認められるから(右認定を妨げる疏明資料はない。)、仮りに控訴人の寄附行為において東、懸田両理事の代表権に制限が加えられていたとしても(私立学校法第三七条第一項参照)、両理事を含む控訴人側団体交渉委員の団体交渉担当者としての適格においてなんら欠けるところはなかつたとすべきである。したがつて、有山理事長が団体交渉に出席しなかつたからといつて控訴人側の態度を云為するのは当らないし、他に同理事長が団体交渉に出席しなかつたことを実質的に不当とすべき特別の事情の存することも認められない。(ロ)控訴人側が第五回団体交渉において控訴人側の回答を第一回団体交渉の回答の線に戻す旨の回答をした動機の一半が組合においてスト権集約を開始したことにあることは前述のとおりである(前記一(一)(5)参照)。かかる不当な動機が介在している点において、控訴人は第五回団体交渉を不調に導いた責任を組合側と分担すべきであるといわなければならないが、進んで、控訴人の右回答が組合に対する報復的ないし攻撃的意図に基いてなされたものとは認め難いこと前説示のとおりである。(ハ)控訴人が第一〇回団体交渉の後組合側の団体交渉申入を拒否し続けたことを不当といえないことも前述のとおりである。

以上によれば、団体交渉に対する控訴人の態度を論難する被控訴人等の主張はすべて失当たるを免れない。

八  リボン着用、ビラ配布に対する非難について。

(一) 組合が第一回団体交渉以来当初要求を譲らず昭和三五年一一月一七日以降組合員をして「要求貫徹」と記した赤色リボンを着用させたこと、これに対し、控訴人が、組合に対しては通告書をもつて、組合員に対しては「学内ニユース」臨時号をもつて、これを労調法違反あるいは正常な組合活動の範囲を逸脱するものと非難したことは当事者間に争いがない。当裁判所は組合員に右リボンを着用させた組合の行為はその具体的態様において労調法第七条にいう争議行為に当らないから、右行為について同法第三七条違反の有無を論ずる前提を欠くものであると判断する。この点の認定判断は原判決理由説示(原判決一二一枚目裏一行目から一二二枚目裏一行目まで)と同一であるから、これを引用する(ただし、右理由説示挙示の乙第一三四号証の一につき原審における証人井上信弥の証言によりその成立を認めうる旨付加する。)。また、右認定事実によれば、組合の右行為が正常な組合活動の範囲を逸脱したものともいいえない。しかしながら、組合のリボン戦術についての以上のような法的評価は、なんびとも同一の結論に達しうる程度に自明な事柄であるとはいえないから、右行為に対し控訴人が前記のような見解の下に、これを非難したことをもつて、労働者の団結、組合活動に対する偏見に由来し、正当な組合活動に対していいがかりをつけて威嚇したものと認めることは許されず、かえつて、控訴人の前記非難は使用者に許された言論の範囲に属すると解するのを相当とする。

(二) 組合が昭和三五年一一月中旬頃から同年一二月下旬頃にかけて御茶の水駅頭、医院構内、付近街路、都庁等において都民、患者等に対しビラを配布したこと、右ビラは〈1〉「のどから手の出るほど年末手当を欲しがつているのを知り抜いていて組合員の動揺と分裂をたくらむ」、〈2〉「順天堂大学経営者の非人間的な卑劣な行為を訴える」、〈3〉「組合弾圧に狂奔する東京都知事の弟東俊郎」等の表現を含むものであつたこと、これに対し控訴人が前記(一)同様の非難を加えたことは当事者間に争いがない。右事実に前記甲第二号証、成立に争いのない乙第四五号証(成立に争いのない甲第四号証の一と同じ)、乙第四六、第四九、第五〇号証、原審における証人東俊郎の証言および本件弁論の全趣旨を総合すれば、〈1〉のビラは昭和三五年一一月一七日御茶の水駅頭で配布されたものであり、控訴人従業員の賃金が平均一万三、二〇〇円であり、一般産業労働者(二万五、四〇〇円)、公務員(二万一、六〇〇円)と比較して低額であること、組合の年末手当および賃金増額要求に対する控訴人の回答を載せたうえ、控訴人が前摘記のように「云々組合員の動揺と分裂をたくら」んで「最高の理性の府の経営者としてあるまじい卑劣な回答をよこした」旨記述したもの、〈2〉のビラは昭和三五年一一月一九日医院前において配布されたものであり、前摘記のような書出をもつて、低賃金、労務管理の実情、団体交渉の状況を報じたもの、〈3〉のビラは昭和三五年一二月二三日都庁前において配布されたものであり、前摘記のような標題のもとに、低賃金、組合員に対する差別待遇の実情等を記述し、結びとして右は東理事が東京都知事および日経連(日本経営者団体連盟の略称)を背景に不法に組合を弾圧するものと断じていること、昭和三五年一二月二四日都庁前において右〈3〉とほぼ同様の内容のビラ(〈4〉)が配布されたことを認めることができ、右認定を妨げる疏明資料はない。ところで〈1〉〈2〉のビラの全体を貫く趣意は、組合が従業員の賃金、労務管理の実情、団体交渉の状況(それが客観的事実に符合するかどうかはともかく)を都民、患者等に訴えて組合活動に対する理解と支援を求めるところにあり、多少誇張的な表現があつて穏当を欠くけれども、いまだ組合活動における言論自由の範囲を越えるものではないと解すべきである。これに反し、〈3〉〈4〉のビラは控訴人従業員の低賃金、組合員に対する差別待遇を一般公衆あるいは都職員に訴える内容が相当なスペースを占めるとはいえ、当該記述の先後に東理事の「不法な組合弾圧」の字句を配して、同理事を攻撃し、読む者をしてあたかも東理事が東都知事および日経連の勢威を背景にして不法にも組合弾圧に狂奔しているかの如き印象を抱かせるものであるところ、本件に現れた全疏明資料を検討しても、さような組合弾圧の事実を肯認しえないから、結局〈3〉〈4〉のビラは真実に基かないで公然東理事を中傷する文書であつて、かかる文書を配布することは到底正当な組合活動と評価できないものといわなければならない。したがつて、控訴人が組合の上記ビラ配布行為を正常な組合活動の範囲逸脱と非難したのは一部ビラについては肯綮に当り、他のビラについては必らずしも事を適切に評価したものといえないが、控訴人の右非難が実質的に当を得ているかどうかはともかく、控訴人の右非難は(組合の行為を労調法違反であるとした非難をもあわせて)、これを各ビラの内容と相関的に考察すれば、労働者の団結、組合活動に対する偏見に基き正当な組合活動に対しいいがかりをつけて威嚇するものとは認められず、むしろ、右の程度の非難は使用者に許された言論の範囲に属するものと解するのを相当とする。

九  年末手当の仮払について。

(一) 組合が昭和三五年一一月一九日控訴人において例年どおり一二月一〇日に年末手当の支給をしない場合には組合員に対し組合が立替払をする旨宣言したこと、控訴人が同月二八日団体交渉(第五回)の席上組合側に対し「組合との団体交渉が一一月三〇日までに妥結しない場合非組合員全員に年末手当ならびに一時金相当額として二ケ月プラス三、〇〇〇円を例年のとおり一二月一〇日に仮払し、交渉が妥結した時精算する予定である。」旨通告し、また、「学内ニユース」により従業員一般に知らせたうえ、同年一二月一〇日非組合員に対し年末手当ならびに一時金を仮払したが、組合員に対しては仮払をしなかつたことは当事者間に争いがない。およそ使用者において、従業員中一部の者が組合員であるということの外にこれを非組合員たる従業員と差別して取扱うべき格段の合理的根拠がないに拘らず非組合員たる従業員に対してだけ年末手当を支給し、組合員たる従業員に対しては右手当を支給しないということは、当該事業における労働契約において年末手当の支給が従業員の権利として確立しているかどうかを問うまでもなく、従業員が組合員であることの故をもつて不利益な取扱をする場合に該当するものといわなければならない。本件において、(イ)前記争いのない事実に成立に争いのない甲第七号証の一、二、第一六号証、乙第四七、第二三三号証、原審における証人懸田克躬、同井上信弥、原審および当審における証人東俊郎の各証言を総合すれば、控訴人は既に五回に及ぶ団体交渉に拘らず、事態が少しも解決に向わないうえ、組合が前記のように組合員に対する年末手当の立替払をする旨を宣言したので、万一多数の非組合員に対し例年どおり年末手当を支給しないときは組合員との均衡を失することとなつて不公平であると考え、また、組合が昭和三五年一一月二一日「非組合員の皆さんに告げる」と題し、団体交渉が妥結しない以上非組合員に対しては何時までも年末手当が支給されないから、組合員と腕を組んで闘おうと呼びかけたビラを配布したので、このまま推移すれば非組合員の間に不安、動揺を生じ、業務態勢維持上由々しい問題であると考えた結果、非組合員に対し年末手当を支給することとし、前記のとおりその旨を通知したうえ、同年一二月一〇日年末手当を一時金とともに仮払したことを認めることができ(右認定を妨げる疏明資料はない。)、右認定事実によれば控訴人が非組合員に対して年末手当の仮払をしたのは控訴人が控訴人なりの判断に基いて従業員処遇の均衡を配慮し、かつまた業務上の必要を感じて行つた措置であると認められるが、このことは前記差別待遇を正当化する合理的根拠となすに足りない。(ロ)組合が年末手当支給日の前日に当る昭和三五年一二月九日の団体交渉終了間際に、控訴人側に対し、年末手当については二ケ月分で妥結する旨記載した文書を手交しようとしたところ受領を拒まれたことは前認定のとおりであるが(前記一(一)(8)参照)、組合要求にかかる案件の一括処理を望んだ控訴人の方針および当日までの団体交渉の経緯に徴すれば、控訴人側が組合側の右申入を拒絶したことは相当な理由があり、強ち不当とはいえない。しかし、このことは、控訴人をして、年末手当の案件を応諾しなかつたことによる解決不調の責任を免れしめるに止るものである。控訴人において非組合員に対し年末手当を支払う以上、組合員たる従業員に対しても、すくなくとも支払のための提供をしなければ不当な差別待遇の譏を免れないのであつて、控訴人が組合の前記申入を拒絶したことに相当な理由があるからといつてそのことが控訴人のなした差別待遇の合理的根拠となるべき筋合ではないのであるる。

(二) 被控訴人等は、控訴人が、年末手当支給当日、慣行に反し、各職場において組合員たる従業員の面前に年末手当を袋ごと示して組合脱退を慫慂した旨主張するが、右主張に添う前記甲第一八号証、乙第五〇号証の記載部分、原審における証人倉元恭一、当審における証人後藤億嶺の供述部分は右主張を肯認すべき資料とし難く、他に右主張事実を肯認すべき疏明資料はない。

(三) 組合員の組合脱退の日時人数は前認定のとおりであり(前記二参照)、さらに前記甲第二号証によれば、年末手当支給日の前日たる昭和三五年一二月九日のみで四三名、第一波ストライキ実施の日の前日である同月一二日のみで七〇名の脱退者を数えたことが認められる。しかし、組合脱退者の人数、その脱退の時期に関する叙上事実だけを根拠にして控訴人が組合員に対し年末手当等を支給しなかつた措置が組合員の脱退の主たる原因をなしたものと即断することは許されない。控訴人の右措置が脱退の原因となつた旨の被控訴人等の主張に添う前記甲第二、第一八号証の記載部分、原審における証人村上弘、同永村正志、同井上信弥、同倉元恭一、当審における証人後藤億嶺、原審における被控訴人松田本人の各供述部分は被控訴人等の主張を肯認すべき資料とし難く、他に被控訴人等の主張事実を肯認しうる疏明資料はない。かえつて、前記甲第六四号証、乙第一二五、第一二七、第二一〇、第二一一号証、当審における証人後藤億嶺の証言により成立を認めうる甲第六三号証の三、当審における証人大野大の証言により成立を認めうる乙第二〇九号証の二、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第一三七号証の一、第二二五号証、第二三四ないし第二三六、第二三八、第二三九号証の各一ないし三に原審における証人井上信弥の証言を総合すれば、昭和三五年一二月一日以降昭和三六年二月初頃までの間における合計二三八名の脱退者中相当数の者は、一面において組合を脱退して年末手当の支給を受けたいという心理が働いたとはいえ、それにも増して病院におけるストライキあるいは行過ぎたピケツテイングは極力回避すべきであるとの見解を持つていたので、このような争議方法を敢行する組合の行き方には追随することができないとの理由から脱退した者であつたことを認めることができる。

一〇  組合費のチエツクオフ中止について。

成立に争いのない乙第二〇三号証に当審における証人東俊郎の証言、原審における被控訴人三ツ井本人尋問の結果を総合すれば、組合費のチエツクオフは組合結成以来慣行的に行われてきたところ、控訴人は昭和三五年一二月一〇日組合に対し、昭和三五年一二月分以降組合員の給与から組合費を控除するチエツクオフ事務を中止する旨通告したこと、右措置は当時既に組合を脱退する者が多数に達したため、控訴人会計当局においてチエツクオフを行うべき組合員と非組合員との区別が困難になつたとして行つたものであることを認めることができる(右認定を妨げる疏明資料はない。)。しかし、特段の事情の認められない本件において、組合員と非組合員の区別は、控訴人が給与支給の際組合に照会すれば、その時点における正確な状況を容易に知りうることであつたと認められるから、控訴人が前記のような理由でチエツクオフを中止したのは相当でないというべきである。かえつて、組合費が組合活動のため不可欠の基金であつて、その徴収の成否如何は組合財政に至大の影響を及ぼすところから、組合はチエツクオフ制に依存して組合費の完全徴収を期するというのが一般の実情であることに鑑みれば、控訴人が本件争議の深刻化していつた矢先、首肯するに足る理由がないに拘らず、組合結成以来の労働慣行を一挙に覆えしてチエツクオフを一方的に中止したことはそれが組合の財政に影響を及ぼす性質のものである以上、組合の運営に対する不当な介入であるといわざるをえない。

一一  被控訴人松田、看護婦小谷富美子等に対する威嚇について。

(一) 原審および当審における被控訴人松田本人尋問の結果によれば、被控訴人松田が昭和三五年一二月中、上司たる整形外科部長福島教授に呼ばれ、「ストライキを止めて争議をとりまとめよう。このまま闘争を続ければ首になるかも知れぬ云々」と告げられたことを認めることができる(右認定を妨げる疏明資料はない。)。右は争議中の組合幹部に対する発言としては誤解を招き易い不用意なものであるけれども、福島教授が被控訴人松田の身上を案じてなした忠告であると解する余地もあり、これを解雇という重大な不利益を告知して争議を中止すべく威嚇したものとなす被控訴人等の主張に添うような原審および当審における被控訴人松田本人の供述は信を措き難く、他に右主張事実を肯認すべき疏明資料はない。

(二) 控訴人職制者が争議中止の威嚇、圧迫を全組合員に対して加えた旨の被控訴人等の主張事実を肯認すべき疏明資料はない。

(三) 耳鼻咽喉科主任看護婦小谷富美子が昭和三六年一月一六日自殺したことは当事者間に争いがない。被控訴人等は小谷の自殺は職制の威嚇、圧迫によるものである旨主張するが、原審における被控訴人松田本人尋問の結果により成立を認めうる甲第二三号証、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第四五号証中右主張に添うような記載部分は前記乙第二二五号証、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第二二六、第二二七号証、原審における証人井上信弥、当審における証人大野大の各証言に照らすと真実に合うものとは認め難く、原審における証人中村園子、被控訴人三ツ井本人、原審および当審における被控訴人松田本人、当審における証人高林一男の各供述中前記主張に添うような供述部分も上記対照に供した各証拠に照らすと信用できず、他に被控訴人等の主張事実を肯認しうる疏明資料はない。

一二  年賀状による組合脱退の使嗾について。

成立に争いのない甲第一〇号証の一、二に当審における証人東俊郎の証言によれば、控訴人が昭和三六年一月四日組合員の家族に対し年賀状を送つたこと、右年賀状は冒頭に新年の賀詞を記したうえ、争議の争点たる組合の要求と控訴人の回答の各内容を要約し、続いて「今なお組合に留る方にはボーナスと一時金をお渡し出来ず大学としては誠に遺憾に存じております。しかし今では組合幹部の独断的な態度に不信を抱き当初の組合員四百数十人の中二百十人が脱退し大学の真意を理解して下さる方がどんどん増えています。多少の日時はかかつても正しい解決が出来ると思つておりますので、御家族の皆様にはどうか大学をご信頼下さりご協力の程切に願い上げます。」と記述したものであつたことが認められる。しかし、右年賀状の文面は必らずしも控訴人の組合切崩の意図を肯認させるに足りるものとは認め難く、これを組合切崩の意図の現われであるとする原審における被控訴人松田の所見は当裁判所の採らないところである。

一三  保安協定について。

前記乙第一〇五号証、第一〇六号証の一、成立に争いのない乙第九三ないし第九八号証、第一〇四号証の一、二、第一〇六号証の二に原審における証人石塚司農夫、原審および当審における証人土屋豊の各証言を総合すれば、次の事実を認めることができる。

控訴人は、昭和三五年一一月二四日以降開始された団体交渉の成行が円滑でないのみならず同月二九日には医労連の争議通知(争議行為の実施は同年一二月一〇日以降と指定)を受けるに至つたので、多数の患者の生命、健康を預る病院の使命を争議の間においても全うすべく、同年一二月八日組合に対し保安協定の締結を申入れ、同日協議を行つた。しかし、組合側は、保安協定の締結よりも団体交渉が先決事項であるとの見解のもとに、保安協定に関する具体的折衝に入ることを拒んだ。同日控訴人側が組合側に提示した保安協定書案には保安要員は二六五名と記載されていた。その後、控訴人は、同年一二月九日、一〇日両日それぞれ組合に対し保安協定の締結を申入れたが、組合は、前記団体交渉先決の見解を固持して保安協定はストライキ突入直前に締結する用意ありとして、申入に応じなかつた。第一波ストライキの前日である同月一二日(午後九時から一一時)には、組合は、団体交渉(第八回)決裂後、引続き保安協定の協議を行うべき旨の控訴人の申入を受諾しながら、協議冒頭、団体交渉権限を有しない控訴人側保安協定委員に対し、唐突にも団体交渉の再開を申出たため、結局翌一三日実施された第一波ストライキは保安協定が締結されないまま決行されるに至つた(第一波ストライキに際し保安協定が締結されなかつたことは当事者間に争いがない。)。当時控訴人側が作成した保安協定書案には保安要員は一四五名と記載されていた(昭和三五年一二月初頃の組合員数が四四四名であつたことは前記のとおりであり、右事実と前記甲第二号証とをあわせ考えると、昭和三五年一二月一二日現在の組合員数はすくなくとも三一六名であつた。)。第二波ストライキ以降は各波とも保安協定が締結され(この点は当事者間に争いがない。)、保安要員の員数についても、協議の過程においてこそ控訴人側と組合側で意見の対立を免れなかつたものの、結局、毎回五六名(第二波)ないしこれとほぼ同数の保安要員を供出することに落着した。

以上の認定に反する前記甲第一、第二四号証、乙第九九号証、成立に争いのない甲第六号証の三、第六七、第六八号証の記載は真実に合うものとは認め難く、原審および当審における被控訴人三ツ井本人の供述は信用できず、他に以上の認定を妨げる疏明資料はない。

以上認定の事実によれば、控訴人が保安協定締結に強い関心を示したのは病院の使命を全うしようとする責任感によるものと認められる。これを争議解決への努力の放棄を意味するとなし、あるいは、控訴人の心底はストライキ参加者の削減にあつたとなす被控訴人等の主張は、いずれも、失当とすべきである。控訴人が昭和三五年一二月八日組合に提示した保安協定書案記載の二六五名の保安要員の供出要求を第一波ストライキ当時まで維持したことを窺うに足る資料はない。また、控訴人が第一波ストライキ当時作成した保安協定書案記載の保安要員の員数一四五名(実際には右案は実現をみなかつた。)は第二波ストライキ以降の保安要員の員数五六名前後と比較すれば、多数であつたが、右は、争議が初期の段階にあつた当時のこととて控訴人が保安業務の完璧を期する余りいささか組合の実情に対する諒察を欠いて提案した員数であると推認するのが相当であるから、該員数を第二波ストライキ以降のそれと形式的に比較して、控訴人の保安要員の要求が一貫性を欠くとか、一定の基準に依拠したものでないとか評価することは当を得ない。いわんや該員数のみを根拠にして控訴人にストライキ参加者の削減の意図があつたと認めることが許されないことはいうまでもない。また、第二波ストライキ以降の保安要員は控訴人側と組合側両者の合意によつて締結された保安協定に定められたものであるところ、控訴人が協議にあたり保安を口実にして必要以上の保安要員の供出を求めたことあるいは保安要員に保安業務以外の業務を命じた事跡は証拠上これを肯認し難い。

一四  ストライキ実施中における組合員に対する挑発、威嚇行為について。

被控訴人等主張のように控訴人が医院正面に、医師は全員出勤しており、本日診療を行つている旨の懸垂幕を掲げて公衆に明らかにしたこと、控訴人が各波ストライキの都度医院広場入口にバリケード(木柵)を設置し、さらに、昭和三五年一二月一三日の第一波ストライキ当日、ストライキ開始前に、医院正面東側坂道入口にロープを張つたことは当事者間に争いがなく、甲第六九号証中鉛筆書以外の部分(右部分の成立は争いがない。)、成立に争いがない甲第七〇号証に原審における証人石塚石塚司農夫、当審における証人大野大の各証言を総合すれば、控訴人が遅くとも昭和三五年一二月上旬頃診療対策本部なる組織を設置したこと、右本部は有山理事長、福田病院長、水野副病院長の三名をもつて構成され、その統括指揮の下に、診療、看護、給食、出納、医事、施設管理、出入管理等を扱う医院の既設部門のほかに写真係等各種の臨時部門を新設したことが認められる。しかし、叙上の控訴人の行為を組合員に対する挑発、威嚇と認めるべき疏明資料はない。かえつて、原審における証人土屋豊の証言によれば、前記懸垂幕は、控訴人がストライキ実施中であつても診療態勢を確保すべく努力していることを患者その他公衆に対し公示する趣旨で掲示したもので、何等他意はなかつたことが認められる。また、前記甲第一七号証の二、三、乙第七、第五四、第一三三号証、写真部分が当該現場の写真であることについて当事者間に争いがなく、説明書部分は本件弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一七号証の一、四、乙第三号証に原審における証人懸田克躬、同土屋豊、同石塚司農夫、当審における証人大野大、同長峰敏治の各証言によれば、控訴人は、組合員が昭和三五年春闘の際東京都地方労働委員会の斡旋中にも拘らず、支援の外部団体員とともに要求貫徹を唱えて医院構内に侵入し、患者待合室その他を占拠し、旗竿をもつて手術室入口を閉鎖する等の挙に出たことに鑑み、本件ストライキに当り再び同様の事態を惹起するのを未然に防止するため前記場所にバリケードを設置し、ロープを張つたものであること、右バリケードは合計五、六個の木柵を衝立風に一列に並べただけのものであつて患者等(自動車に乗つたままの患者を含む。)を入構させるためには、その中の一、二個の木柵を若干移動させれば足り、決して患者等入構の障害となるものではなかつたし、右ロープは外来患者の来院する午前八時頃には控訴人側の手でこれを取外す予定で張られたものであること(組合員等は第一波ストライキ当日午前七時頃、右ロープを越えて東側坂道上に立入つてピケツト隊形をとり、控訴人側が当初の予定に従い午前八時頃右ロープの取外にかかつたところ、右ロープは控訴人が外来患者を入構させないために張つたものであると強弁し、取外作業を妨害し紛糾を生じた。このため控訴人側は同日午前一〇時頃に至つてようやく取外をすることができた。)を認めることができる。また、控訴人が暴力団を動員し、大学側苦情処理班、学生、患者をして組合員に対する挑発、威嚇を行わしめたことを認めるべき適切な疏明資料はない。

一五  ビラの配布、貼付、赤旗の掲揚等の違法をいう控訴人の主張の反組合的意図について。

本訴において控訴人が組合によるビラ等の配布、貼付、赤旗の掲揚についてこれを違法と主張するのは、控訴人が当該事実に対する法的見解を述べているものであり、このことをもつて直ちに控訴人が組合活動に対する反情を抱いているものとする被控訴人等の主張は失当とするほかない。

一六  施設利用の拒否について。

(一) 従前組合が控訴人の施設を利用するについては控訴人の許可を得ていたこと、組合が第一波ストライキの前日である昭和三五年一二月一二日午後一〇時まで組合大会のため四号館講義室の使用許可を得てこれを使用したこと、その間組合が控訴人に対し使用継続を申入れ、これに対する控訴人の許可がないまま無断で同室に寝具類を運込み、翌朝まで引続き同室を使用したことは当事者間に争いがない。そして、成立に争いがない乙第一〇八、第一〇九号証、本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第一二四号証の一に原審における被控訴人三ツ井本人尋問の結果を総合すれば、昭和三五年一二月一二日夜は組合員が四号館講義室において団体交渉の結果如何を案じて待機中であつたが、同室使用許可刻限たる午後一〇時までに団体交渉が終了しなかつたため、組合は右時刻直前に至り控訴人に対し右室の使用継続の許可を求めたこと、控訴人は施設の保安維持の観点からこれを許可せず組合側に警告を発したこと、それにも拘らず、組合は外部団体員を含む多数の組合員をして引続き同室を使用させたので、控訴人は右組合の行為について同月一五、一六両日組合に対し釈明書の提出を求めたが、組合はそれを提出しなかつたことを認めることができ(控訴人が組合に対し再三釈明を求めたが、組合がその非を認めなかつたことは当事者間に争いがない。)、右認定に反する原審における被控訴人三ツ井本人の供述は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

(二) 組合が昭和三五年一二月一六日約三時間に亘り控訴人の許可を得ないで二号館一階講義室を使用して組合大会を行つたことは当事者間に争いがなく、前記乙第一二四号証の一、成立に争いのない乙第一一〇号証に原審における被控訴人三ツ井本人尋問の結果を総合すれば、組合は控訴人に対し組合蹶起大会のため同日午後五時二〇分から一一時まで右室使用の許可を求めたが、控訴人は組合が依然前記釈明書を提出しなかつたことおよび施設保安上の見地から組合に対し大会開催場所の変更を求め、右室の使用は許可しなかつたにも拘らず、組合は前記のとおり約三時間に亘り右室を使用したことを認めることができ、右認定に反する原審における被控訴人三ツ井本人の供述は信用できず、他に右認定を妨げる疏明資料はない。

(三) 叙上のとおり組合がなした前記各使用許可ないし使用継続許可の申請の趣旨はいずれも大学講義室を深更に至るまで長時間使用するというのであり、しかも右室を使用する者の中に外部団体員が含まれており(一二月一二日の場合)また、組合が前回の無断使用の非を認めず、釈明書も提出しなかつた(一二月一六日の場合)のであるから、控訴人の事業の公益性をもあわせ斟酌すれば、控訴人が施設の安全保持の見地から許可を与えなかつたのは相当の理由があるというべきである。されば、従来組合の施設利用申請が拒否された事例がなかつたかどうかを問うまでもなく、控訴人の不許可措置を施設管理権の濫用であるとする被控訴人の主張は採用できない。

(判断)

以上説示したところによれば、被控訴人等の主張する事実の大部分はその疏明を欠くか、被控訴人らの法的評価を誤りとせざるをえない事実であり、不当労働行為と断ずべき控訴人の行為(年末手当の差別支給、チエツクオフの中止)の存在もそれだけで控訴人が被控訴人等を解雇した決定的動機が被控訴人等が組合員であることまたは組合の正当な行為をなした点にあることを推認せしめるに足りないものとすべきである。以上のほか控訴人の不当労働行為意思を推認するに足る適切な疏明資料はない。

その三 結語

控訴人の本件解雇の意思表示は被控訴人等の指導実行した争議行為の不当を理由とするものであるところ、争議行為の不当事由の一と主張されたピケツテイングは到底これを労働組合の正当な行為と評価することができないことは前述のとおりである。他方、本件解雇の意思表示は被控訴人等が組合員であることまたは組合の正当な行為をしたことをその決定的動機とするものでなかつたのであるから、争議行為の当否に関する他の争点につき判断するまでもなく、本件解雇の意思表示が不当労働行為に該当するという被控訴人等の主張は採用するに由ないものといわざるをえない。

第三、本件解雇の意思表示は権利の濫用か。

被控訴人等は、本件において被控訴人等に解雇されるべきなんらの事由もないから、控訴人がした本件解雇の意思表示は権利の濫用であると主張するが、上来説示したところによれば、被控訴人等の行為は就業規則第三一条第四、第五号、第五七条第八、第九号所定の解雇基準に該当することが明らかであるから(本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第一二六号証によれば、上記就業規則の規定は次のとおりである。第三一条第四、第五号「左の各号の一に該当する時は三十日前に予告するか又は三十日分の平均賃金を支給したうえ解雇する。四、懲戒規定に基き解雇処分に該当する者 五、医院の使命達成に適当でない者」、第五七条第八、第九号「左の各号の一に該当する者は懲戒に処する。八、他人に対し(中略)業務を妨げる行為のあつた者 九、正当の理由なく、職務上の指揮命令に反抗し、職場の秩序をみだした者」)、被控訴人等の主張は採用できない。さらに、被控訴人等は控訴人が労働基準法第一〇六条に反し就業規則を従業員に周知させなかつたから、右規則は拘束力なく、したがつて右規則に依拠してなされた本件解雇の意思表示は権利の濫用に当る旨主張する。しかし、控訴人が就業規則を周知させなかつたとする前記甲第二号証の記載、原審における証人永村正志、当審における証人金岡長英の各供述は後記証拠に照らし採用できず、成立に争いのない甲第三二号証の小委員会に関する記事もそれだけで就業規則の不周知を肯認すべき資料となし難く、他に被控訴人等の主張事実を認めうる適切な疏明資料はない。かえつて、成立に争いのない乙第一三二号証によれば、組合が控訴人に対し昭和三二年七月一七日付書簡をもつて、就業規則第一九条第一号所定の年次有給休暇の完全実施について善処方を要望したこと、右書簡の末尾に前記条文の内容を注記していることが認められ、右認定事実と当審における証人東俊郎の証言とを総合すれば、就業規則は各職場の長に交付され、諸規程とともに編綴保管されており、従業員が望むならばたやすくこれを見うる状態にあつたことが認められるから被控訴人等の権利濫用の主張はその前提を欠くものといわなければならない。

第四、結論

叙上説示したところによれば、本件解雇の意思表示は被控訴人三ツ井については昭和三六年二月九日限り、同松田については同月一八日限りその効力を生じ、被控訴人両名と控訴人との間の労働契約はそれぞれ右日時をもつて終了したのである。されば、被控訴人両名が控訴人の従業員たる地位を保有することを前提として、右地位の保全ならびに解雇の翌日以降の賃金の仮払を求める被控訴人等の本件仮処分申請は必要性の有無について審究するまでもなく、これを認容すべき疏明を欠くものというべく、右疏明に代わる保証を立てしめて仮処分を発令することは相当でないから、右申請はいずれもこれを却下すべきである。叙上と結論を異にする原判決は不当であつて、本件控訴は理由がある。

よつて、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部行男 川添利起 蕪山厳)

(別紙図面省略)

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